腐ったリンゴ
北海道のいじめによる小学生自殺事件の余波が覚めやらぬ内に、今度は九州で再びいじめによる中学生の自殺事件が起きました。一連の事件で明らかになったことがあります。それは事件の主因が教育関係者の無責任にあるということです。九州の事件では元担任がいじめの主犯でしたが、校長は事件を把握しながら教育委員会に報告しませんでした。我国ではここ数年100名を超える児童、生徒の自殺がありながら、いじめが原因との報告はただの一件も報告されていないとのことです。文科省の当事者能力の無さは呆れるばかりですが、校長や教育委員会の無責任ぶりにも怒りを覚えます。
本来教育は子供の健全な育成のためになされるべきですが、都合の悪い事実を隠蔽し自身の保身に走る輩が教育機関のトップにいるのは諸悪の根源です。特に定年間近の関係者は事なかれ主義に走る傾向が強いようです。教師が悪いことをして処罰されなければ、生徒はそれを学習して同じことを真似します。その意味で元担任教師と校長の罪は大変重いものと断じざるを得ません。マスコミ報道によれば校長は発言を二転三転させてその場限りの責任逃れをしているようですが教育者の姿としてあるまじき行為です。
また本件が全国的に報道されたことにより体調不良を理由に元担任が入院したそうですが、いい気なものだと言わざるを得ません。死に追いやられた生徒はどこにも逃避することも出来ずに自ら死を選択せざるを得なかったのです。こんないい加減な教師が学年主任を任されるとは校長の管理能力も大いに問題ですし、このような無責任校長を管理できない教育委員会は存在する意義があるのでしょうか。この際全ての膿を出し切って子供達の為の教育をスタートさせて欲しいものです。
かつて問題生徒が周囲に悪影響を及ぼすとして早期に排除すべきとした腐ったリンゴ理論が言われましたが、問題だったのはリンゴを入れるリンゴ箱たる教育関係者だったとは笑い話にもなりません。社会の為に腐ったリンゴ箱は速やかに燃やすしかないでしょうね。
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コメント
児童をもつ親として今回の事件は腹が煮えくりかえります。
私が当事者だったら、制裁として先生やいじめた子供達の命を奪うことを考えるかもしれません。福岡の親御さんの寛大さに頭が下がる思いです。
今の教師は、人間として教師では全くありません。勉強を教えるだけ(しかもマニュアルどおりに)の塾の講師と一緒です。学校の配り物の文面や学校行事の運営方法を見ていても常識を疑うものが多々あります。
近年、学校内は禁煙となりましたが、休み時間や放課後に学校敷地外(フェンスを隔てただけのところ)でプカプカ煙草を吹かせている教師を見かけます。こそこそして行う行為...たとえそれが大人の規則には合致していても、子供が見たらどう感じるでしょう?見つからなかったらやってもよいと捉えるのではないでしょうか?教師は自分の行為が児童の手本になっていることを真摯に捉え、窮屈であっても一歩家を出れば、そういった目を気にして過ごすことが義務だと感じて欲しいものです。
しかし、いじめは周囲がどうこうして解決することは少ないです。私は、小中学といじめを受けてきました。先生が助け船を出すことはまずありえませんでした。暴力行為により怪我を負わされても、そのことで授業を欠席することを責められました。当時は暴力で生徒を抑える男子教師も多く、教師の質は変わらないものの、近年は生徒への暴力を封じられた分、教師が弱々しく見えるのかもしれません。
30年前も今も変わらないのですから、いじめの解決方法という物は無いのかもしれません。ただ、近年のいじめの内容が陰湿なの非常に気にかかります。現状では、私は、身の回りでいじめが発覚した場合、学校には相談しないで保護者間で解決する方を選択すると思います。
投稿: 山奥 | 2006年10月19日 (木) 06時40分
山奥さん、いつもコメントありがとうございます。いじめは人間の本質に関わる問題なので、根絶するのは難しいかも知れません。でも完全に闇から闇に葬られることは出来無いはずです。今回の九州の事件でも学校の卑劣な態度に憤激した生徒からいじめについて公の場に出て証言するという意志表明があるやに聞いています。件の校長や元担任は懲戒免職になってしかるべきと思いますが、せいぜい世論から追い詰められた末に依願退職する程度の人間性しか持ち合わせていない輩だと思います。
私が通っていた「夢」は中学校のすぐ隣にあったので、若い教師が息抜きに立ち寄っていました。ちょうどTVドラマの金八先生が放送されていた頃だった為か、理想と現実のギャップに悩む生の声も聞くとは無しに聞いたりもしました。また、妻は教職の経験があったので学校と言う閉鎖社会の問題点もかねて聞かされていました。使命感に燃えて教職に就いた若い先生たちも、定年を間近にした管理職達が自分の定年までは何が何でも問題を表面化させないという日和見的な姿勢の中で、いつしか熱意が冷めてしまっているというのが現実のようです。
また教師の中にも適正や人格的に当然排除されるべき人間が数多くいるのも事実です。私も2人の子供を持つ親ですが近所の父兄から問題教師の存在を聞かされていましたが、運悪くたまたま我が子の担任に当りついてしまったことがありました。こちらとしては子供を人質に取られているようなもので、よほどのことが無い限り口は出せないものと固唾を飲んで見守るしかありませんでした。ある時非常に些細なことで、この教師が子供に言うことを聞かないと親を学校に呼ぶぞと威嚇しましたが、子供は親の性格を熟知していたとみえ、どうぞと答えたそうです。当然子供はいいなりになると思っていた教師は、あてが外れて以後子供に対して高圧的な態度に出なくなったようです。
教師も学校と言う閉鎖社会の中ではあたかも絶対的な君臨者のような錯覚を抱いているようですが、親が地域と連携することで、問題教師には対応できるのではないかと思います。とにかく子供を見守って、何に対しても毅然とした態度を取れば、おのずと道は開かれるのではないかと思います。
投稿: 雨辰 | 2006年10月19日 (木) 20時24分