滝川に正義は無い
昨年滝川市でいじめを苦に首吊り自殺(今年になって死亡)をした小学6年の女子児童の動機についてのマスコミ報道を見て憤慨に堪えません。市の教育委員会は肉体的暴力が認められないからいじめではなかったとの見解ですが、無視や言葉による暴力がいじめに当たるとの認識は世間の常識です。又、彼女が残した遺書を「手紙」と言いつくろって遺書であることを認めようとしていませんが、自殺者が残した書面を世間の常識では遺書というのですよ。こんなことも認識できない関係者やこんな幼稚な言い逃れを是正できない市3役は恥を知って即刻辞任すべきと思いますがそんな動きは今のところ微塵も見えません。どうやら滝川市には恥も正義という言葉も存在していないと断じざるを得ません。
一人の人間を死に追いやってのうのうとしている元クラスメートや死の直前に相談を受けたクラス担任は彼女の死をどう受け止めているのでしょうか。いじめについてはする側と受ける側との認識の差があるのは仕方ないとして自殺から1年以上経っているにもかかわらず未だに調査中を繰り返す関係者の言葉の裏には、くさいものには蓋、責任は取りたくないよと言う本音があまりに露骨に表れています。
絶望のあまり教室で一人死を決断した小学6年生の心からの叫び声を聞こうともしない滝川の教育関係者は人間のクズとしか言いようがありません。
訂正とお詫び
私の錯誤から滝川市を旭川市と表記してしまいました。記述を訂正すると共に、ご迷惑をおかけしました旭川市の関係者には心からお詫びを致します。誠に申し訳ありませんでした。
尚今日5日、滝川市の教育委員会は一転していじめの事実を認めると共に遺書を遺書として認める発表をしました。悲劇から1年余り、あまりに遅すぎた対応とは思いますが、起きてしまった不幸な出来事を事実として認め2度と再発させない為に関係者の真摯な努力を希望します。
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投稿: toshiki | 2006年10月 5日 (木) 18時02分