存在していることって・・・
京都で親の虐待により幼児が死亡する事件がありました。周囲が児童相談所に何件も通報しながら電話によるヒアリングしか行わず、助けられる命がみすみす失われてしまったにもかかわらず当の所長は実に淡々と認識が甘かったという趣旨のコメントを述べていました。一方通報した地元の自治会長さんは力に成れなかったと嗚咽していました。これではどっちが当事者なのか判りません。一体児童相談所は何の為にあるのかと所長と市長は市民に良く説明して欲しいものだと思います。
奈良で5年間で8日しか出勤しない職員がいることが表面化しました。当初市の人事課は手続き上問題なく、正当に執行されているとコメントしました。どこの職場でも戦力にならない構成員など百害あって一利なしだと思うのですが、ここの職場の責任者は黙ってメクラ判を押していたのでしょうか。労働する意志がないにもかかわらず、病気による休業申請するのは詐欺罪に相当するのではと思われますし、原資が税金ですから更に重大な犯罪行為だと思われます。連日のマスコミ報道により流石に市長も知らぬ顔も出来ず、懲戒免職をほのめかしていますが、5年以上(記録上確認できたのが5年前まで)事態を放置したした関係者の責任は重大です。
いじめの存在を無視し、目を瞑り続けている教育関係者の皆さん、皆さんの統計とは別に警察関係の統計では逆に増加している結果が発表されました。専門家として是非反論をお聞きしたいものだと思います。福岡の校長さんは未だにいじめを認めていないようですね。多分任命権者だと思いますが、県知事さんのコメントも聞かれませんが私の不注意でしょうか。
我思う故に我ありと言ったのはデカルトだったと思いますが、何かをしなければいけない立場の皆さん、何もしなかったあなたは存在しているのですか?存在する価値があるのですか?もし何もする意志や能力が無いのであれば、少しでも世の中を良くする為に潔くそのポジションから離れて下さい。第二第三の犠牲者を生まない為にも。
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コメント
近頃話題に上がるのは、公務員の問題ばかりですね。(苦笑)
同じ職業に携わる人間として恥ずかしく思う反面、法律、規則でがんじがらめで型どおりの事しかしない(できない)実態の打開も必要と感じました。
公務員はスタンドプレーは許されません。私も上司に「他の人が次にその部署に来たときに出来ないことはするな」言われたことを思い出しました。つまり、そうなったときに「あの人はやってくれたのにこの人はしてくれない」と言った不公平感が生まれ、行政バッシングが起きるということでした(サービス業で民間だったらそんな甘いことは許されない!というご批判があることは重々承知の上での記述とご理解下さい)。
前例は慣例を生み出し、慣例の中に不正が生まれると私は考えています。良い前例ばかりなら結構ですがそう言うわけでもなく、「良いこと」だから法や規則を曲げてもやる、「悪いこと」だから法や規則に抵触していなくても認めないといったことは公務員の世界ではタブーです。
「悪法もまた法なり」です。
投稿: 山奥 | 2006年10月25日 (水) 06時08分
続けてコメントします。
今朝のニュースで京都府知事が児童相談所の判断ミスだと謝罪しました。
奈良のズル休み市職員は懲戒免職になりました。
しかし、これらは体制の見直しが必要ではと思います。先にも言いましたが、法や規則の下では一定の条件を満たしていれば、それに従わなければいけません。病欠や休職規定も条件がしっかりあるわけですから、それを上司(個人)の判断で処分されては公平性が保てません。今回は、休職中に同和問題活動や公共事業に係る不正介入をしていた疑いがあったため非常に悪質である上の措置と考えます。
京都府知事は早々に記者会見で「体制の問題ではなく個人の判断の問題」と言い放ちました。本当にそうなのかはきちんと検証を行った上で話すべきでしょう。全国的に児童相談所の問題は出てきています。刑事問題の介入、法的強制権等の権限範囲が明確化されているのでしょうか?
福岡市は政令指定都市なので、任命権者は市では?違うかな??
まあ、いずれにしてもこれは法云々より、対応そのものの問題なので、人間性が現れるのでしょうか。当事者教師の依願退職をじ~と待っているのでしょうかね。
投稿: 山奥 | 2006年10月25日 (水) 06時29分
山奥さん、コメントありがとうございます。活字にすると上手くニュアンスを伝えられないのがもどかしいのですが、別に公務員バッシングをしている訳ではないのです。私の周辺にも公務員や準公務員がいますので、難しい立場があることは重々承知しているつもりです。
奈良の事例では例え規則で90日の傷病休暇が認められているとして、ちょうど91日目に別の病気になり、はたまた偶然に181日目にそのまた別の病気になるということが現実に起こりうるのかということです。5年間もの間請求されるがままに全てを認めてしまうのはベルトコンベア(比喩ですから突っ込まないで下さいね)で運ばれる書類にただ自動的にハンコを押しているだけじゃないのかということです。当然症状の確認や復職の時期を判断する為に本人と面談するなり家庭訪問するのが、世間の常識ではないでしょうか。規則で認められているからと盲従するのは法や規則の精神を生かすことにはならないのではないかと思います。
京都の事件では児童相談所は都道府県の管轄になるようなので、府知事が最高責任者になるのでしょうか。報道によれば全国的には担当する案件に比べて職員の数が圧倒的に不足しているようですが、例えそうだったとしても、通報者が小さな命を救えなかったことに対して残念だと嗚咽していたのに対して、実にあっけらかんと(これも私の主観ですが)認識が甘かったとのたまう姿に責任のカケラも感じることが出来ませんでした。もし本当に人員不足で心ならずも思うように動くことが出来なかったのならもう少し違う表現やそのことをアピールする姿勢があっても良かったのではないかと思います。公務員はその部署を希望した、しないに関わらず果たすべき責任を負い、そのための権限を与えられています。民間も必ずしも望む部署に配属されるわけではありませんが、一般的に公務員のような強制力を伴うような職務権限を持つことは余りありません。故に公務員にはその身分にでは無く、その職責に対して報酬が支払われているのだと思います。そこのところをこの所長は自覚していたのかというのが私の疑問です。
福岡の校長は町立なのでやはり県知事が任命権者だと思うのですが、何にしても世論の声を無視できずに文科省が動く事態になっても(このタイミングになったのは世論に押されたからだと私は思っています)行政のトップがまるで知らん顔と言うのが不思議でなりません。当事者能力のない人は自らそのポジションを明け渡すべきだと思いますし、いつまでもそうしないのならば上司が諭して更迭すべきではないでしょうか。いつまでも知らぬ顔を決め込むことは許されません。すべては教育の問題なので、貴方達の振る舞いを子供達が固唾を呑んで凝視していることだけは忘れないようにして欲しいものです。
投稿: 雨辰 | 2006年10月25日 (水) 20時53分
あっしは、大学時代に反差別運動(在日コリアンの問題)を
やり、今でも別の視点から関心を持ちつづけているのですが、
奈良市の問題は、行きすぎた反差別運動の行きつく先が、
団体幹部の腐敗を招いているのでしょう。
こんなえぐい話はいくらでもあり、
『同和利権の真相』(宝島社・別冊宝島Real)1~4巻を
読んでみれば、腑に落ちると思います。
こんな状況を、ひどい部落差別をなんとか解消しようと
して立ちあがった、大正時代の全国水平社創立メンバーは
草葉の陰でどう思っているのでしょうか。
また、部落に住む大衆はどう考えているのでしょうか。
#関東在住の企業経営者の方で、現在は、同和団体に
関わっておられる(おそらく自民党系団体でしょう)
方のブログ「同和日記」
http://ameblo.jp/biog-hide-1955/
投稿: 出がらし紋次郎 | 2006年10月28日 (土) 09時27分
紋次郎さん、コメントありがとうございます。この事件はとんでもない男の身勝手を行政が野放しにしてしまったことですが、背景の一つに指摘されたような事実があるのであればじつにけしからんことです。先に大阪でも駐車場の運営を巡って同和団体の不正がありましたが、こちらも長年に亘って事態が放置されていました。行政のチェック能力の無さも問題ですが、もし何らかの圧力によって行われていれば更に問題です。奈良市は問題の職員を懲戒免職し、当時の上司の処分を発表しましたが、他にも存在が言われる不正休職者については「規則に沿った行為だった」として処分しないと決めました。たとえ形式的に書類は出ていても事実と違う内容の請求であれば不正請求で、これを認めることは公金の不正支出を認めることにならないのでしょうか。
同和問題そのものについては当事者でないと差別の存在は判らないのかも知れませんが、少なくとも私の周囲ではそのような出自を元に差別が行われた事実を知りません。また知人はそのよう出自と言われる相手と結婚し幸福な結婚生活を送っています。過去はともかく、現在は公の問題として行政が事業を行うのは逆に特定の集団に対する便宜や利権の供与にあたり、平等の原則に反するのではないかと思います。
投稿: 雨辰 | 2006年10月29日 (日) 07時30分