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2006年11月16日 (木)

落ち葉のない街

Pb040013 紅葉の訪れが遅いと言われた今秋ですが、朝晩は寒さを覚えるようになりました。さぞかし街路樹も色付いただろうと見上げたら、なんとすっかり葉がありません。昨今では落ち葉の処理を省く為に、葉が落ちる前に剪定されていることをすっかり忘れていました。本来落ち葉は腐葉土となって土に返り、元の木の養分になるのですがこれでは自然のサイクルが途切れてしまいます。

紅葉して、枯れ葉が落ち葉になるのは自然の摂理です。それを処分が手間だと言うのは、面倒なことはいやだという考えを助長し、ひいては自分にとって利益とならないものを受け入れないという考えを認めてしまうことにつながってしまうのではないでしょうか。世の中は直接的な利害関係だけで成り立っている訳ではありません。そもそも街路樹は実利よりも人々の安らぎの為のものではないでしょうか。その街路樹の葉を邪魔なものと考えるのはいかがなものかと思います。世の中は多様な構成物で成り立つことにより豊かさを保つのではないでしょうか?

自分にとって不要なものをオミットすると言う考え方は実に貧しい見方だと思います。美しい紅葉を楽しみ、落ち葉の絨毯に冬の訪れを知る。この事の方がどれだけ自然か判りません。もし落ち葉の処理に困るのなら、元気なシルバー世代にしかるべき報酬を払って竹箒で掃いてもらうのが一番だと思うのですがいかがなものでしょうか。

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コメント

我が家の庭は落ち葉の絨毯で敷き詰められています。クリやカキ、カシ、エンジュ、ハゼノキ、フジ、モミジ等々、木々の8割が落葉樹です。おかげさまで焚き火には事欠きません。掃き集める手間は大変ですが、季節の移り変わりを感じ、心に安らぎが得られます。
今度は、落ち葉でたい肥をつくってみたいと考えています。
街路樹やグリーンベルトのあり方については人それぞれですが、無機質な町並みになったら息が詰まってしまうことでしょう。

投稿: 山奥 | 2006年11月16日 (木) 22時16分

山奥さん、コメントありがとうございます。自宅で落ち葉のモザイクを眺められるのはすごい贅沢ですね。落ち葉は決してゴミではなく、貴重な資源であることをもっと多くの人に認識して欲しいものです。
今まで見過ごしていましたが、今朝裸の街路樹を見て強い違和感を覚えました。今の世の中が、あまりにも効率を追求し過ぎているように思えたからです。生産現場では無駄を省くのが常識ですが、暮らしの中では潤いと言った観点も必要です。役に立つ、立たないと言う物差しで全てのことを判断するのは、弱者の切捨てにもつながってしまう危うさを感じます。かつて食物の繊維質は栄養学的に価値がないと考えられていましたが、今日では貴重な成分として認められています。無駄の中に潜む有用性を追求した結果だと思います。
高度に効率を追求した画一的な社会より、自然に対する畏敬の念と共に、大きな自然の中で生かされていることに幸せを感じられる社会が本当の豊かさではないでしょうか。

投稿: 雨辰 | 2006年11月16日 (木) 23時30分

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