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2006年12月10日 (日)

生きる権利

生後9ヶ月の赤ちゃんがアメリカで多臓器の移植手術を受けて無事手術が終了しました。例によって国内では臓器移植法の年齢制限によって乳幼児の臓器移植が認められない為、多くの善意の寄付金を集めて海外で移植手術を受けるというお決まりのパターンですが、安堵と共に強い怒りを禁じ得ません。

海外では認められる脳死移植がどうして国内では認められないのでしょうか?我国には独特の死生観があり、また根強い脳死判定に対する不信感があるのは理解できますが、国内での解決を放棄して、国内法が及ばない海外での手術に追いやっている事態を長年に亘って放置している政府及び国会議員はどういうつもりなのでしょうか。脳死判定の精度の向上や第三者による判定機関の設置など出来ることはいくらでもある筈ですし、海外での移植運用のノウハウの実態を調査して我国に反映することも出来る筈です。助けられる命を手をこまねいて見捨てる状況は北朝鮮による拉致を長年放置してきた姿勢と重なって映ります。

移植によって助けられる命が、国によって見捨てられている為に海外での移植を強いられたり、怪しげな病気の臓器移植に頼らざるを得ないのはどうにも情けない限りです。この国に生まれた人間が手厚く生を全う出来る社会であってこそ美しい国を標榜できるのではないでしょうか。

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コメント

非常に難しい問題ですね。
臓器提供意志カードなるものが以前はやりましたが、熱しやすく冷めやすい日本人、今では全く言わなくなってしまいました。
死亡した時がそうなのですから、脳死の段階での移植はさらにハードルが高いことでしょう。また、本人が希望し、意思表示する尊厳死についても認められておらず、施した医師が殺人罪に問われてしまいます。日本人は死について特別な観念を持っているというよりは今まで無関心すぎたのかもしれません。長きに渡り死という物を別次元の物として遠ざけてきた精神を見直す時期なのかもしれません。

投稿: 山奥 | 2006年12月13日 (水) 05時30分

山奥さん、コメントありがとうございます。乳幼児が自発的に意志を表明出来ることなど有り得ないので、日本の臓器移植法は欠陥法と言わざるを得ません。出生時に問題を持って生まれた乳幼児の移植が必要なことは多くの人が認めているのに、立法側がこの問題にまともに向き合おうとしないのは実にけしからんと思います。
脳死移植が日常的に行われている米国などで、脳死の判定が無茶苦茶に運用されているという話も聞いたことがありません。もっと運用面を勉強させてもらう必要があるように思います。
かつての血液製剤でもそうでしたが、能力がありながら自国民の生命を他国に頼るというのは情けない限りです。

投稿: 雨辰 | 2006年12月13日 (水) 06時21分

政府自民党は臓器移植法の改正案として15歳の年齢制限を12歳に引き下げることを想定しているようですが、事の本質がまるで判っておらず無責任極まりないと思います。年齢を3歳引き下げることにどれだけの意味があるのでしょうか。少子化の影響が懸念されていますが、先天的な障害によって一刻も早い根本的な治療を必要とする小さな命を助けようともしない政府の元で、果たして安心して子供を生もうとする気になるとでも思っているのでしょうか。
政府が手をこまねいている間に、又一人心臓移植を待ちかねている少女がドイツでドナーの現れるのを時間と競争しながら待っています。それにしても自国民の救命を最優先するのが当たり前だと思いますが、日本人の患者を暖かく受け入れてくれる米国やドイツの寛容さには改めて頭が下がります。

投稿: 雨辰 | 2006年12月14日 (木) 21時40分

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