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2007年2月26日 (月)

円楽引退

三遊亭円楽が一線からの引退を表明しました。脳梗塞で倒れて以来、いつか高座に復帰するものと思っていましたが、引き際を潔くしたいとの本人の希望で引退の表明となりました。多くの噺家が意志を表明すること無しに他界している事を考えると、これはこれで重い決断と言えるでしょう。

若手時代は星の王子様のキャッチフレーズで一世を風靡しましたが、師匠の円生が落語協会を脱退してからは、定席を失いながらも円生を助けて一門を纏め上げました。私はこの時代の円生、円楽の生の高座を聞く機会を得られたことを大変に幸運だったと思っています。こんな事情でも無ければ、名人円生が地方都市の市民会館で高座に上がることなど無かったと思うからです。

その後も若手の芸の発表の場として自ら立ち上げた寄席「若竹」の失敗や、日航機の墜落事故で客室アテンダントをしていた妹さんを亡くすなど私生活での苦労も多かったようですが、伝説の名人達と新進の若手をつなぐ橋渡しの役割を果たしてきたように思います。出来れば思い直してもう一度高座に上がる日が来ることを願っています。

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コメント

雨辰さんの幅広い博識に脱帽です。
さて、私も家内の影響から落語を聞くようになりました。内容はバリバリの古典落語で、子どもの絵本にもなっているような物です。子連れOKの高座にも数回行きました。
円楽師匠は「笑点」で見るようになったくらいで、全盛期の落語は聞いたことがありません。加齢に伴う障害はやむを得ないのでしょう、先日ご高齢の噺家の落語をTVで見ましたが、ろれつが回らない、声が聞き取りにくい等でおもしろさが半減していました。惜しまれつつも高座を降りる円楽師匠の潔さに喝采を贈りたいと思います。

投稿: 山奥 | 2007年2月26日 (月) 06時33分

山奥さん、コメントありがとうございます。落語は娯楽としてみれば、滑稽な演芸ですが
話芸として捉えれば伝統芸能としての位置づけで評価が分かれますね。
芸に厳しかった円生の落語は正に芸術に値するものだったと思います。舞踊の道をも究めたと言う、その高座姿はそのままで聞くものを圧倒していたように思います。
他方円楽は宮戸川のような軽妙な話が持ち味で、後年はどちらかと言うと大ネタを演じていたようですが、若い頃の方が持ち味が出ていたように思います。今回も芸として考えずに、落とし噺として演芸を大衆相手に演ずると考えれば違った結論が出たのかも知れませんが、彼の美学がそれを許さなかったのでしょうね。

投稿: 雨辰 | 2007年2月27日 (火) 20時52分

雨辰様

はじめまして。
ふとしたことで徒然ネット遊泳の最中、お邪魔させていただきました。

大変恐縮なのですが、一つ間違いを指摘させて下さい。

円楽師匠の妹御が亡くなられたのは、1985年の御巣鷹山ではありません。
1972年、インド・ニューデリーでの墜落事故機に客室乗務員として搭乗、殉職されました。

747ジャンボ登場以前、航空旅行が高嶺の花だったころの国際線スチュワーデスさんですので、大変な「選ばれた精鋭」だったのでしょう。
円楽師匠をはじめ、ご家族の無念は慮ることさえできません。

ごめん下さいませ。

投稿: アークエンジェル06 | 2009年1月14日 (水) 16時45分

アークエンジェル06さん、コメントありがとうございます。ニューデリーでの事故、ご指摘ありがとうございます。私の記憶の中では御巣鷹山墜落事故と誤ってインプットされていました。事故の際、テレビの取材に応える円楽師匠の普段とは違う真顔の応対が昨日のことのように思い出されます。
楽太郎が円楽を襲名するようですが、円生の大看板は誰が引き継ぐのか、円楽一門の今後に注目したいと思います。

投稿: 雨辰 | 2009年1月14日 (水) 21時21分

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