« コウノトリにコウノトリ | トップページ | 年金問題 »

慙愧(ざんき)

松岡農水相が自殺しました。緑資源機構に関して司直の手が身近に迫り、思いあまってのことではないかと言われています。同じ自民党の新井将敬氏の事件を思い起こさせますが、この事件に関して安倍総理が慙愧に堪えないとコメントしました。

慙愧、あまり耳にすることがない単語ですが、私には強烈な思い出があります。私が育った浜松市では高校生が教育の一環として演劇を鑑賞するカリキュラムがありました。そして高校1年の私が観たのが劇団民芸が公演したアンネの日記でした。舞台の終盤でアンネの父親オットーフランク役の大滝秀治がうめくようにして発した言葉、「私は慙愧に堪えないのですよ。」。これは自分の家族の命を奪うことになった悲惨な第二次大戦という戦争を止めることが出来なかった、大人としての悔やんでも悔み切れない心からの叫びとして精神的に幼かった私の心を打ちました。

翻って安倍氏はどういう思いでこの言葉を発したのでしょうか。用法としてちょっと唐突な感じがします。任命権者として己の不明を恥じたのでしょうか。それとも閣僚としてあまりの無責任ぶりに対しての思いだったのでしょうか。それにしても15歳だった私が受け止めた衝撃に比べてあまりに軽く響く一言でした。

|

« コウノトリにコウノトリ | トップページ | 年金問題 »

コメント

農林水産行政...私も一部携わった仕事をしていますが、他の業種には無い一種独特の世界であることは確かです。昔から国土基盤に立脚した第一次産業として日本国を支えてきたのが農業です。今でこそ他産業に圧され就農者は激減、じり貧の状態ですが、食糧確保こそ国存続の道であることから国から手厚い擁護されてきました。そのためか、農業関係者と国家権力との関係も尋常ならぬ部分が多々ありました。
故農水大臣は農水官僚から国会議員になったため、全く他の世界を知らないまま今に至ったことが今回の不幸となったのかもしれません。
残された国会議員は、このことを真摯に受けとめ、我が襟を正してもらいたいものです。

投稿: 山奥 | 2007年5月29日 (火) 06時16分

山奥さん、コメントありがとうございます。故松岡大臣は利権がらみのスキャンダルの度に名前が挙がっておりましたが、閣僚に任命されなければここに至ることは無かったかも知れません。
農水行政では補助金がらみの農道や林道の造営、港湾整備などで巨額の税金が投入されてきました。農道利用の簡易空港や巨大な釣堀と揶揄される利用者不在の建設のみが目的かのような施設があまりに多いように思います。これらが一部の人たちの利益の為に血税を浪費して造られたかと思うと強い怒りを禁じ得ません。
農業は国民の生命維持に直結していますので、自給率の向上や環境保全や治水の意味合いで水田を維持することは是非とも必要だと思います。その国民の思いを利用して私服を肥やすことは到底許されることではありません。死者にムチ打たないのは我国の美徳かも知れませんが、どんな事情にしても真実は明らかにされるべきだと考えます。

投稿: 雨辰 | 2007年5月29日 (火) 22時34分

リンク先にて海外の扱いをまとた記事を載せています。ご覧下さい。色々と解釈されていますが、やはり「知らなかった」「間違った」用法だと思います。

投稿: 中村友一 | 2007年6月 3日 (日) 19時46分

中村友一さん、コメントありがとうございます。耐えるではなく堪えるが正しい用法ですか、不明を恥じるばかりです。マスコミは全く触れませんでしたが、報道に接して大変唐突に感じましたが、同じような思いの方々が大勢おられたことを知って心強く思います。
言葉狩りのつもりはありませんが、一国の総理のコメントとしては、やはり不適切だったと思います。

投稿: 雨辰 | 2007年6月 3日 (日) 22時23分

「耐える」を使う場合があるようですが、主はやはり「堪える」のようです。

このテーマでいろいろな意見を追跡していくと気づきますが、「慙愧」は確かに単なる「言葉の誤用」ですが、それを導いた「背景」に何かを感じるている、ということだ思います。

そして、その感覚の方が正しいものだと思います。

投稿: 中村友一 | 2007年6月 3日 (日) 23時00分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/171584/15236245

この記事へのトラックバック一覧です: 慙愧(ざんき):

« コウノトリにコウノトリ | トップページ | 年金問題 »