放置国家?
福岡で幼児3人が亡くなった飲酒事故の裁判で、福岡地裁は地検に対して危険運転致死傷罪から業務上過失致死罪に訴因を変更するよう命令を出しました。この事件の被告は大量の飲酒の果てに死亡事故を起こしながら、被害者を救助することなく逃亡し、大量の水分を摂取した後現場に舞い戻り、逮捕されたものです。裁判で被告側は飲酒の事実を認めながら、事故当時冷静な判断が可能であって危険運転ではなかったと主張していましたが、残念ながら裁判官がその主張を認めてしまったようです。
しかし、海中に転落した被害者を救助することなく逃亡している事実一つをとっても泥酔して自己保身に走った結果であるのは明白で、正常な運転が可能であったと主張するのであれば、逃亡して救助を放棄する理由など無いはずです。血中濃度を下げる目的としか思えない大量の水分の摂取についても合理的な説明が必要です。
悲惨な飲酒事故の歯止めとして制定された危険運転致死傷罪の施行以来、厳罰を逃れようと逃亡を企てる輩が後を絶ちません。今回の地裁判断はこのような動きを助長するものであり、国民の飲酒事故絶滅の願いを根底から打ち砕きかねないものです。
この件については今後の推移を見守らなければいけませんが、法の番人たる裁判官がこのような甘い考えでは法治国家の名が泣くと言うものです。悪人を野放しにする放置国家は願い下げです。
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コメント
もう片方の飲酒死亡事故は23年の判決でしたね。これらの争点は飲酒の程度みたいですね。「酩酊」していたかどうか...福岡の事例はそこまで到っていないとの判断のようです。
ここで問題となるのは、この裁判が危険運転致死傷罪のまま結審をし、無罪判決となった場合です。(一度無罪になった案件について同じ罪では裁判を起こせなかったと思うので)そこで、裁判所の判断で業務上過失致死罪に変更したようです。
人間的には極刑でも良いと思いますが、法は誰にでも平等であるというところが歯がゆいところです。
投稿: 山奥 | 2007年12月19日 (水) 20時44分
山奥さん、コメントありがとうございます。飲酒常習者のトラック運転手の追突により、幼児二人が焼死した事件が契機となって生まれた危険運転致死傷罪ですが、飲酒を隠蔽して刑を逃れようと現場から逃走するケースが急増しているそうです。
このケースは正にそのものズバリですが、事故の直後の呼気中のアルコール濃度を測定できないのが決定的な決め手を欠くと言われていますが、そもそも酩酊の有無ではなくて大量の飲酒をして運転すること自体が即、危険運転と思えるのですが、法律の適用要因を満たせないのであればとんだ欠陥法です。
裁判官は同法の適用は無理と判断したようですが、摂取したアルコール量と経過時間から当時のアルコール濃度を算出する方程式が裁判でも採用された事例もあるようです。
法律の門外漢の見当違いの遠吠えかも知れませんが、この裁判の結果が今後の同種の事故の発生に大きな影響を与えるのは必至です。
あれだけの事故を起こしながら、事故原因をいまだに被害者の運転方法のせいにして反省のかけらも見せない被告については、何としても鉄槌を下すべきと思います。例え法の解釈を曲げたとしてもです。
投稿: 雨辰 | 2007年12月19日 (水) 22時31分
裁判は法の遵守、客観・証拠主義の下に行われるものであり、その大前提の中でこの様な理不尽な事例も出てくるのでしょう。
(薬害肝炎訴訟についてもしかり)
飲酒の証拠ということで、福岡の事例も検察側は複数の警察官に供述内容の量の飲酒をさせ、アルコール濃度を測定したそうですが、複数の計算式により専門家が実施した結果は、酩酊状態とは証明できない(数値だけでは酒気帯び運転)というものでした
これが子供が3人も死亡していない、ただの追突だとしたらどうったでしょうか?被告は飲酒は認めたが、正常な運転が可能な状態で、追突原因は前方不注意によるもので、橋からの転落は不可抗力(追突後の相手側の運転操作等によるもの)とも取られる発言をしているようです。
飲酒による事故を無くすためには、禁酒法を制定するしか無いでしょう。
投稿: 山奥 | 2007年12月20日 (木) 05時59分
山奥さん、コメントありがとうございます。法の解釈上はおっしゃる通りだと思います。しかし危険運転致死傷罪の条文「正常な運転が困難」というのが酩酊状態が要件とはどうなのでしょうか?
飲酒運転が法律で禁じられているのは微量のアルコール摂取でも運転に何らかの影響を与えるからです。過去の実験では本人が酒酔いを意識しない程度の飲酒でもブレーキを踏むまでの反応速度が遅れたり、スラローム走行でパイロンに接触する割合が増加するなどの結果が出ています。飲酒した上に重大事故、これが危険運転でなくて何なのでしょうか。重大事故を起こさなかったのなら、飲酒運転に対する道路交通法違反でも仕方ないでしょう。しかし、重大事故を起こしている以上、アルコール濃度がどうのこうのと言うことでは済まされません。運転に支障が無いと言い張るのであるのなら、ではどうして事故を回避する行動が取れなかったのか、そのこと自体が危険運転をしていたことの何よりの立証ではないかと考えます。
また逃亡者が増えることから厳罰化に反対する意見もあるようですが、同法の施行によって飲酒事故が半減した事実を見ても隠れた飲酒運転が以下に多かったのか、それを防止するのは罰則しかないことを示しているのではないでしょうか。逃亡者が増えるのであれば、逃亡者は救護を要する被害者を放置して逃亡しているわけですから、未必の故意による殺人罪を適用して厳罰に処するべきと思います。
もし法曹界の常識として今度の事件に危険運転致死傷罪が適用できないというのであれば、早急に法の改正をしない限りまっとうな国民の理解は得られません。事の成り行きによっては国民の順法規範が喪失しかねないことを司法当局は肝に銘ずるべきでと思いますが、その認識はおありなのでしょうか?
投稿: 雨辰 | 2007年12月20日 (木) 06時59分