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2008年1月 9日 (水)

良識で判例を勝ち取ろう

昨日、福岡の飲酒ひき逃げ事件の判決が下されました。結果は予想通りの業務上過失致死にひき逃げを加算しただけのたった7年6ヶ月という多くの国民の判断とは遠くかけ離れた判決でした。

福岡地裁の川口宰護裁判長は法律に沿った判断を下したと評価する意見があるようですが、全く同意できません。彼の判断は一見まともなように見えますが庶民感覚からはとんでもない判決と言わざるを得ません。

危険運転致死傷罪を見送った根拠としてまず第一に運転後8分間事故を起こさなかったことを挙げていますが、逆に言えばわずか8分間で事故をおこしているのです。8時間ではないのです。これはたった8分間と判断するのが世間の常識です。

第二に現場までの途上に道路幅の狭い地点があり、そこで接触事故を起こさなかったことで、酒酔い運転とは認められないとのことですが、狭い道路では誰しもスピードを落とし、慎重になるものです。その地点を通過できたからといって運転に支障がなかったと判断するのは噴飯物で、おめでたいにもほどがあります。

第三に事故直前に被告は100Kmの速度で走行しながら13秒間の間脇見運転したと主張してそれをそのまま鵜呑みにして、異常な行為とは言えないと解釈していますがこの人物は車の運転についての理解が出来るとは思えません。時速100Kmの車は1秒間に約28m移動します。13秒間では361mの距離を走行してしまいます。仮に200m先に60Kmで走行している車があれば後方から激突してしまうことになるのです。これが危険運転でなくて何なのでしょうか?

また、脇見とは被告の一方的な主張であってそれを裏付ける物証は何もありません。飲酒の影響による居眠りの可能性も視野に入れるのが当然ではないでしょうか。

第四に事故当時のアルコール検知の数値を採用して酒気帯びレベルと判断していますが、検知が被告のひき逃げによる逃亡の事故後48分後であったこと、呼気アルコールの濃度を下げる為、大量の水を摂取した後であることに対して何の考慮もしていません。機械的に検知時の数値を受け入れていますが、検知までの事情を考えれば事故当時の濃度がもっと高かったことは容易に推測できるはずです。更に飲酒の事実を誤魔化す為に、救護すべき責任を放棄して現場から逃走し、水を飲んでいたことをもって泥酔していなかったと認定していますが、これは人殺しの片棒を担ぐ言い草です。まともな裁判官が口にすべき言葉ではありません。

第五に泥酔をもって危険運転致死傷罪の構成要件としているようですが、これも大きな誤りではないでしょうか。道路交通法が飲酒運転を禁止しているのは何故なのでしょうか?飲酒によって運転に何らかの影響を及ぼすことが否定できないからではないでしょうか。もし、川口裁判長が言うように酒気帯びなら危険運転ではないと言うのなら、警察の飲酒取り締まりは過剰行為であり、20万円の罰金は国家による収奪になってしまいます。今回の判決に対して警察庁は沈黙していますが、「こんな判決は冗談じゃない」くらいのコメントを発しないと現場の警察官はとてもじゃありませんが、やってられないのではないでしょうか。

我国は三審制を取り入れています。当然、検察は控訴する構えのようですが、我々もただ司法が決めることだからと諦めずに、もっともっと異議の声を上げるべきだと思います。今回の判決は世間の常識からすれば「司法馬鹿」としか言いようがありませんが、これを世間の常識に変えていく為には多くの声が必要です。司法と言えども無謬ではありません、おかしいものはおかしいと声を上げることが何より必要ではないでしょうか。

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コメント

地裁の判断としては仕方がないのかも知れません。高裁の判断を仰ぐつもりで、危険運転致死傷罪の無罪判決を避け、今回の業務上過失致死傷害罪の最高刑にしたのでは無いのでしょうか?
私の住んでいる県では同様な庶民感情に反する裁判が審議中です(青年による母子暴行殺人事件)。これも、被告の証言、弁護士の弁護内容により判決が揺らいでいる案件です。
また、事案が起こるたびにそれに合わせた詳細な法律を作ってしまうと、かえって弾力的な司法判断ができなくなり、庶民感情に反した判決がさらにでることも考えられます。
日本の裁判は前例、証拠主義です。米国のような陪審員制度になれば状況は変わってくるでしょう。しかし、印象や感情だけで裁くとえん罪を作ってしまうこともあり得るので難しいですね。
最高裁の英断を期待していますが、この2つの案件の行方はどうなるのでしょうか。

淡々と書きましたが、自分の身に降りかかった場合は、自制することは出来ず、事に及ぶと思っています。個人的には命には命を持って償うべきと考えますので。

投稿: 山奥 | 2008年1月10日 (木) 05時51分

山奥さん、コメントありがとうございます。裁判所には独自の世界、おきてがあるのも十分承知です。しかし、呼気中のアルコール濃度をもって、危険運転か否かを判断するのはどうでしょうか。現実に重大事故が起きており、橋から転落した被害者は即生命の危機に直面するのに、救護義務を放棄して現場から逃亡するのは事故までは過失であったにせよ、以後は未必の故意による殺人と認定してもおかしくない状況ではないかと思います。
この被告には汲むべき情状はありません。

裁判は公正であるべきで、庶民が判決を誘導してはならないと思いますが、さりとて判決が庶民感情にそぐわないものでは、司法は庶民の信頼を失います。平和に暮らすことを願う国民として7年6ヶ月の量刑を許してはならないと思います。

投稿: 雨辰 | 2008年1月10日 (木) 20時12分

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