盛夏はそこまで
うだるような暑さが続きますが、梅雨がまだ明けません。京都では祇園祭が終わると真夏が訪れると言われていますが、納得です。祇園祭は17日が山鉾巡行、今年は平日なので見られません。そこでせめて山や鉾だけでも見物しようと出かけてみました。
四条通に据えられた月鉾。通りをはさんで眺めました。
菊水鉾です。各鉾ともお囃子が始まるまでは有料ですが、鉾に上がることが出来るようです。思ったよりも高度感があるようです。
祇園祭は女性が主役、生き生きしています。男性は引き立て役ですね。
そして日本の夏はやっぱり浴衣です。笑顔がとても素敵なお二人でした。
四条通の車越しに見た函谷鉾。函谷は滝廉太郎作曲の唱歌「箱根八里」の歌詞に出てくる函谷関(かんこくかん)に由来するようです。
鶏鉾にやっと灯が灯りました。明るいうちに帰るつもりだったのですが、だんだん欲が出てきて明かりが灯るのを待っていました。こんなときに限って中々暗くなってくれません。
有名な錦市場に通じる錦小路通に据えられた占出山。町会所からは由来を説明するナレーションが流されていました。
祭りの期間中、お金持ちは先祖伝来のお宝を飾って披露する慣わしがあるようです。占出山の町会所でも宝物を公開していました。
華麗な織物の飾りつけはされていませんでしたが、灯りが灯ると明るい時とは違って華やいで見えます。
目抜き通りの月鉾にも夜の帳が静かに下りて来ました。こちらも灯りが主役になりました。
室町通もすっかり暗くなって提灯が一層華やかに見えるようになりました。人出も途切れることはありませんでした。
見上げた空に月が浮かんでいました。夜空はすっかり夏のようで、梅雨明けも間近いようです。祇園囃子が鳴り響いて、京都もいよいよ夏本番です。
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コメント
竹島問題と言い、世界文化遺産への落書きといい、日本人の精神はどこへ行ってしまったのでしょうか?
古の伝統や礼儀、道徳、思想を再度、見直し、たたき込む教育が必要なのでは無いでしょうか?そのためには、腐りきった教育委員会による教育だけでは効果は望めません。このような昔からの儀礼(祭り・風習)に参加し、日本文化を学ぶことも必要と考えます。
戦前の日本は、良くも悪くも確固たる国家意志(国民の意識統一)がありました。今は多様性に配慮しすぎる余り、八方美人の軟弱国家です。有能な人材が日本を見捨てて、海外で活躍している姿も悲しい現実です。
このまま、へらへら外交、セレブ援助、ノンポリ政策を続けていると、そのうち国民は貧困と飢えに苦しむようになるでしょう。
投稿: 山奥 | 2008年7月15日 (火) 07時32分
山奥さん、コメントありがとうございます。よそ者の私には良く判りませんが、祭りの継続には関係者の大変な努力があるようです。祇園祭への参加や機材の維持管理には当然経費が掛かります。山、鉾では資金捻出の為、関係者が暑さの中でおそろいの衣装を纏って記念グッズや祭りのちまきを販売しています。京都に生まれ育った者として当然の努めと心得ているとしか思えません。
先の大戦は我国の自己中心的な思想で開戦に至ってしまいましたが、敗戦と共に民族の誇りや伝統をないがしろにする風潮が強まり、自由と利己主義を履き違えた考えが跋扈しているのは苦々しい限りです。
選民意識を持つ必要はありませんが、自分達の民族が成り立ってきた民俗芸能や伝統文化を受け継がなくてどうしてその人のアイデンティティーを確立できるでしょうか。
若い頃、短い期間でしたが海外で生活する機会があり、ある時出会った若者から日本の伝統文化について話しかけられました。その時感じたのは自国を、自国の文化を語ることが出来ない者は海外では決して相手にされないと言うことです。当時の私は相手の質問に十分応えることが出来ずに大変恥ずかしい思いをしました。(今でも進歩が無いのは汗顔の至りです)別に大上段に構える必要は無いと思いますが、民族としての伝統、文化を理解し後世に伝えることが日本人としての務めだと思います。祭りを見物する、それも民族の義務ですね。(単なる野次馬根性との鋭い指摘もありますが)
投稿: 雨辰 | 2008年7月15日 (火) 22時46分