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2009年7月15日 (水)

危険予知について

登山、トレッキング、ハイキングと名前は変わっても自然を対象にしたエリアに踏み入ることは同じです。そこが斜面であれば上からは落石があり、道を踏み外せば転落の危険性があります。最近起きた蔵王と富士山での事故はまさに典型的な事故でした。

富士山の事故は、翌日の登山を控えて駐車場に駐車中のキャンピングカーを落石防止用のネットを引きちぎった大岩が直撃して中にいた登山者を襲ったものです。このネットは300Kgの落石に耐える設定でしたが、今回の大岩は3トンでその想定をはるかに超える大きなものでした。登山者には落ち度がなく、不運としか言いようがありませんが、登山で駐車する場合は少しでも山側の斜面から離れた場所に駐車するのが基本ではあります。それは林道を通行していると落石防止ネットで落石が止められていることを良く見かけるからです。前回はネットで止められた、でももっと大きな岩だったら・・・と考えるからです。

蔵王での事故は正直良く判りません。調べた限りでは、当該のコースは仙人沢遊歩道、または仙人沢ハイキングコースと呼ばれて入山に特に制限はなく、観光客にも開放されていたとのことです。グループを引率した子供会の会長にどのような登山経験があったかは不明ですが、過去に事故がなかったことから安心なコースであると誤った判断をしていたのではないでしょうか。

また踏破力の弱いメンバーがいる場合、上級者が弱者をサンドイッチするのが鉄則ですが、事故当時は子供たちが先行し大人が後に続く隊列だったようです。経験の浅い子供たちがコースの危険性を認識できないまま進んでしまい、事故に遭遇したものと考えられますが、仮に大人が先行していれば、要所、要所に大人を配して子供たちをサポート出来たのではないかと思われます。

私が思うのに事故と言うのは起こる可能性が低い、起こりそうにないと考える時に起きてしまうのではないでしょうか。勿論、99.9%のケースでは何事も起こらないのでしょうが、たまたま過去に何もなかったと言う相対的な安全度を重視して安全の中に潜む絶対的な危険度を軽視すべきではありません。たとえ99回歩いて転ばなくとも杖をもっていればたった1回のつまずきでも転ぶことはないのですから。

最後になりましたが、事故に遭われた方々のご冥福をお祈りいたします。

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コメント

死者に鞭打つつもりはありませんが、この2つの事故は無知故に発生した人災です。

富士山の事故は、5合目以上、森林限界を超えた木も生えていないむき出しの急斜面直下で車中泊をする...。しかも、当日は風雨が強く、雪解けが進み始めた時期でした。
防護ネット真下に車を停めるとは。

蔵王の事故は、未就学児童に危険察知する能力は無いのに、引率者がいるということから安易に安心し子供参加した親に大きな問題(責任)があります。
子供との山登りは背負えなくなった時期が一番危ないのです。私も幼稚園~小学低学年までが一番気を遣いました。
昨夏、4年生の子供と乗鞍岳に上りましたが、山頂付近のがれ場では気を遣いすぎてこちらがヘロヘロになりました。

平和、安全呆けした日本人はこれからもこういった事故に遭うのでしょうね。

投稿: 山奥 | 2009年7月15日 (水) 19時53分

山奥さん、コメントありがとうございます。富士山は遠望するその美しい姿からやさしい山と思われていますが、毎年のように夏山では落石で、積雪期は滑落の事故があり、時には死者が発生しています。今回はそれ以前の事故ですが、かつては大きな雪崩が発生したこともあります。下界から一歩踏み込んだ場所では細心の注意が求められます。

安全(安全保障も)についてこの国は与えられるものと考え違いをしているように思います。かつて日本人は水と安全はただと揶揄されました。
流石に水については容器に入ったものを飲用する人が多くなりましたが、安全については受動的なままです。ケガ防止のために校内におけるナイフの所持・使用の禁止など笑止千万です。痛い目をするから刃物の使い方を覚えるのであって、使用する機会がなければ将来起こるであろう危険を先送りするだけです。
近年、ゴム靴による幼児のエスカレーター事故が多発しましたが、未だに保護者と離れた幼児が手すりにしがみついたりしている光景を良く目にします。どのような事故でも他人事とせずに他山の石として危険に注意をはからないといつかは我が身に降りかかることを留意すべきです。

仙人沢については今になって初心者の入山は無理なコースとの見解が上がっているようですが、そうであれば「遊歩道」、「ハイキングコース」の呼称はすぐに控えるべきと思います。観光業者への配慮よりも安全への啓発が最優先されるべきです。

投稿: 雨辰 | 2009年7月15日 (水) 23時32分

言ってる傍からトムラウシ山で大量遭難です。悪天候にもかかわらず、登山を強行した主催者の責任は大ですが、ガイドの判断を鵜呑みにすることは自分の命を他人任せにしてしまうとことだともっと認識すべきです。残念ですが死者は二度と還りません。

投稿: 雨辰 | 2009年7月17日 (金) 19時47分

これまた人災。

ガイドの判断ミスもそうですが、形ばかりの参加資格(健脚向き、70歳以下の年齢制限)で集った旅行会社も問題です。
「自称山屋」、「過去の栄光山屋」の力量を誰が判断するのでしょうか?

だいたい、国内の山で、こんなツアーに参加するってこと自体、力量不足を感じている人なんじゃないでしょうか?

北海道の山岳気候を本州の同標高の山と同様に考えていたとしたら大問題です。

ガイドに民事責任が問われる(屋久島の千尋の滝の事故)ようになって久しいですが、一向に減る気配がありませんねえ。

投稿: 山奥 | 2009年7月18日 (土) 06時10分

山奥さん、コメントありがとうございます。山岳会の類に属さない個人の場合、己の技術の不足をガイドに託したくてツァーに参加するのでしょうが、自分のことは自分しか判りません。本当にそのツァーに参加する資格(資質)があるのかわからないままに、ガイドがなんとかサポートしてくれるだろうと参加するとこんなことになってしまいます。

自然は冷徹で人間の側の不都合を考慮せずに牙をむいて襲いかかるものだと言うことを皆がもう一度考えるべきでしょう。そうでないと亡くなった方々が浮かばれません。

投稿: 雨辰 | 2009年7月18日 (土) 06時33分

連コメすみません。

今回の事故では、この山に初めて登るガイドが3人中2人だったみたいですね。

そもそも、ガイドってなんのため?
外国のガイドと日本のガイド、資格に対する認識差がありすぎです。

投稿: 山奥 | 2009年7月18日 (土) 06時52分

山奥さん、ウナコメありがとうございます。私の認識では「山案内人」、当然安全確保のためのものです。日本にもガイドの認定制度がありますが、現在では認定された資格を持っていなくてもガイドをすることは可能です。

今後資格論が強まるかも知れません。ただ登山に規則ががんじがらめになるのは感心しません。安全との絡みで難しい問題ですが、募集の方法については一定のガイドラインは必要だと思います。

投稿: 雨辰 | 2009年7月18日 (土) 07時02分

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