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2009年8月15日 (土)

東北行1日目

今年の夏は高速料金の割引制度を活用して東北地方に行くことにしました。ステップワゴンの後部を就寝仕様にセットして車中泊で気ままな旅を目指しました。

8月8日(土)

高速の渋滞を避けて夕食後にスタート。R153を通り中央道、長野道、上越道を通って上越市高田城を目指します。ところがのっけから、ラジオが塩尻地方に大雨洪水警報が発令され中央道が通行止めになったとのことです。一般道を通ることも出来ますが、ここのところ雨による災害が頻発しているので自重して本線上のPAで開通を待つことにしました。最初の車中泊をしている間にいつの間にか通行止めは解除になり、一路上越に向かって出発です。

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本格的な石垣を持った城は信長が建てた安土城からと言われています。これは鉄砲の普及によって城の防備を高める必要が生じたのと、時代が移り要塞としての山城から執務も行う平城に移行し、豪華で高い天守を築いて統治者としてその権威を周囲に見せつける為です。

ところが慶長15年(1610年)に着手したこの高田城は石垣で築かれませんでした。これは天然の河川を改修として堀とした為、地盤が軟弱であったことと大阪の陣を控えて極めて短期間に築城するためだったと言われています。初代城主は家康の6男、松平忠輝で城の縄張り、普請は岳父である伊達政宗が行ったと言われています。本丸に築城当時の全体図がありますが、広大な城の全容をみるといかにも戦巧者な政宗が考えた城だと思われます。

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城と言えば白亜の天守がお決まりですが高田城には天守がありません。一見それらしく見えるのは天守代りにされた三層櫓です。天守が作られなかったのはやはり築城を急がなければならなかった事情からとされています。現在の櫓は明治3年に焼失してしまったものを平成5年に鉄骨木造で再建したものです。

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本丸を巡る本城堀に架けられた極楽橋。堀の幅が随分広く取られています。これは鉄砲の射程を考慮したことによるものと推察されます。

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極楽橋はヒバ材を用いて平成14年に再建されました。橋長38.4m、幅員5.46mの堂々とした木造の橋で優雅なアーチを描いています。この橋を渡った所に蹴出門がありました。

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本丸に残る土塁跡。極楽橋を渡って本丸に入る者を監視する番所が置かれていました。

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二の丸跡に残る土塁跡。保存状態は良くありません。一部を石垣で囲っていますが、当時のものかは不明です。高田城は明治時代に陸軍第13師団が駐屯する際に構造物に大幅な手を加えてしまいました。この為東側半分が失われてしまいましたが、現存する堀だけを見ても大規模な城であったことが実感されます。この外側に外堀にあたる西堀があります。現在は明治時代に食用として植えられたハスが繁茂しています。大賀ハスで知られる大賀博士も調査に来訪し、東洋一と評されたそうです。昨日UPしたハスの花はここに咲いていたもので多くの市民に親しまれているとのことです。

上越と言えば忘れてならないのが上杉謙信の居城だった春日山城ですが、高田城ほどの遺構はなく、割愛して先を急ぐことにしました。

               

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次に目指したのは鳥海山の登山口の新潟県遊佐町です。ところが行ってみると天気予報は芳しくなく、しかも着いたとたんにバケツをぶちまけたような土砂降りです。明日の鳥海登山は絶望的なので、すぐ隣の秋田県にある象潟の道の駅に寄り、温泉に入って一服しました。象潟は夕日の名所とのことですが生憎の天気では仕方ありません。

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ハマナスの実はその昔北海道で見て以来です。これからそのまま秋田道終点にある道の駅ふたついまで走ることにしました。二ツ井到着19時10分、スタート以来の走行距離は845Kmでした。夕食は豪華にレトルトのご飯にレトルトのカレー、今夜も走るホテル ステップワゴンで車中泊です。   

2日目に続く チャンチャン 

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