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ご愛読ありがとうございました

本日アクセス数50、000件を達成しました。2006年3月に当ブログを開設以来3年6か月目のことです。これも中年オヤジが好き勝手を綴ったブログを暖かい目で見守って下さった、心の広い皆様のおかげです。私雨辰が日々思うことを毒気満載で書きなぐって来ましたが、これからも従来同様ご笑覧頂けますよう宜しくお願いいたします。

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旅のフォトギャラリー ~柳川~ ’09.09.19

熊本県山鹿市から鳥栖方面に向けて国道443号を北上しました。今日は夕方までに山口県に辿り着ければ良いので、ラジオの渋滞情報を聞きながらのんびり走っていると標識の進行方向に柳川の文字がありました。ここも当初の予定にはありませんでしたが、最後の訪問地に決めました。

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柳川は水郷として知られていますが、今も町中に掘割が残っています。観光用の手漕ぎ船が行き来しているのですが、駐車場に車を置いて気ままに歩くことにしました。

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船頭さんが竹竿で操る手漕ぎ船の絶対的なスピードは知れているのですが、水の上は信号がないので移動速度としては結構速いものがあります。

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マンホールの蓋も掘割をデザインしていました。

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柳川は江戸時代は立花氏の柳河藩10万9千石の城下町でした。町を歩いているとこんな風景が残っていました。

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わずかに残る柳川城本丸の石垣。柳川城は明治5年の火災で主要部を焼失し、その後明治7年に決壊した海岸堤防の補修用として石垣が解体されてしまい城の輪郭を失ってしまいましたが、複合式層塔型5重5階の堂々たる天守を持ち、2度に亘る城攻めでも落ちなかった名城でした。城の跡地の大半は柳城中学、柳川高校の敷地となっており、この石垣は両校の間を抜ける細い道路に面した部分にわずかに残っているものです。

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掘割に面している鶴味噌醸造のナマコ壁。ここが私のBEST VIEW IN柳川でした。

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今さらながら

尼崎列車脱線事故を起こしたJR西日本が、同社OBの事故調査委員と接触して情報入手や操作を図ったことが明らかになり、改めて遺族の怒りを買っています。事故の原因は安全性を二の次にした誤った収益重視の中で発生し、ATSの未設置が事故の誘因となったのは明白です。ところが、前社長や現副社長らが指示をしてこれらの活動をしたのですから、いくら否定しようと会社ぐるみであるのは明らかです。ATSの設置で事故が防げたとの結論を報告書から削除しようと画策したのは責任逃れ以外の何物でもありません。

JR西日本は1990年に信楽高原鉄道における衝突事故で42名の犠牲者を出しながら、事故責任を追及された裁判において責任なしの主張をしましたが既に敗訴が確定しています。この事故は2社乗り入れの中で起きた信号の不備で発生し、この時にもATSがあれば防げた事故(設置義務は事業主体の信楽高原鉄道)と言われていました。にもかかわらず、収益重視の過密輸送を行いながら急カーブである事故現場へのATSの設置を怠った過失は明らかで、函館線での同様な脱線事故でATSの有効性を指摘した報告書を隠ぺいするなど悲惨な過去の教訓を生かそうとしない安全軽視の姿勢は本当に困ったものです。

また、国交省は監督官庁としてこのようなことが再発しないよう、制度の見直しをしっかり行って欲しいものです。鉄道事故の調査委員はJRの出身者が大半を占めているようですが、知識、経験を持った適任者を選ぶのではなく、必要なスキルを持つ適者を育成することが必要ではないでしょうか。

今回の件で思い出したのが、古い話ですが1966年に起きた全日空機の羽田沖墜落事故です。千歳から雪まつり帰りの満員の乗客を乗せたB727(JA8302)が羽田沖で海中に墜落し、乗員・乗客133名全員が死亡した当時の最悪の航空機事故でした。この時も事故報告書をめぐって一悶着があり、当時同型機で類似の事故が頻発していたにも係わらず、機種の導入に関与したと言われる委員長の木村秀政日大教授が早期に操縦ミス説を展開し、結局原因不明で報告書を押し切りました。これに対してグランドスポイラーの作動異常の兆候から機体不良説を取った山名正夫明大教授の説は全く顧みられず、抗議の調査委員辞任に至りました。グランドスポイラーの異常はその後の1968年、JALの同型機(JA8318)が飛行中に本来作動してはならないスポイラーが作動する事故が起きましたが、調査委員会は無視しています。事実関係を丹念に拾い集め、科学的な検証を加えればそこにおのずと何らかの形が見えてくるものです。始めに結論ありきでは見えるものも見えなくなってしまいます。

全日空機の事故を教訓に、旅客機にはボイスレコーダー、フライトレコーダーを搭載することが義務付けられ、その後の事故究明に大いに寄与することになりました。国交省、JR西日本はJA8302のパイロットが最後に交信した言葉「ロング・ベースナウ」を今一度思い起こすべきではないでしょうか。

※ロング・ベースナウは現在ロング・ベース(航空機が着陸進入する際に通過する位置の名称)の意味で管制塔に自機の位置を報告したものです。機体トラブルをうかがわせる事象として目撃者からは事故機の高度が通常よりも低いことが証言されていますが、重要視されませんでした。山名氏が事故調査の疑問点を雑誌に発表された際にこの言葉を知りましたが、事実を大切にするべきとの警句として未だに覚えています。

航空機事故調査委員会については、2007年の那覇空港の炎上事故でワッシャに本来あるべき傷が見られないことから事故原因はボーイング社での組み立てミスであることを突き止めるなどその後は基本的事実を直視しており評価出来ると思います。

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旅のフォトギャラリー ~鞠智城址~ ’09.09.18

鞠智(きくち)城は大和朝廷が唐や新羅の侵攻から太宰府を防衛するために、7世紀後半に築いた後方支援の為の山城です。鞠智城には石垣も一部に使われたようですが、主に土塁によって構成された城で、今回の旅のテーマの石の構築物からは外れますので番外編です。

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復元された八角鼓楼。緊急時に太鼓によって通信を行ったと考えられています。八角形の城郭建築物は安土城天守の一部など極めて限られた珍しい形です。

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復元された高床倉。後方支援基地なので大量の穀物を蓄える必要がありました。城内からこのような建物跡が多数発見されており、備蓄用の倉が多数建てられていたと考えられます。藁屋根にネットがかかっているのは防鳥のためです。

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復元された兵舎。防人達が寝泊まりしたものです。

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池の尾門の礎石。鞠智城では三つの門跡が確認されています。石に開けられた穴は門の開閉の際の軸受けとなったものです。

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池の尾門の復元模型。土塁の防衛線の上に櫓を置き、その下に片軸の門を配置しています。

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深迫門の発掘現場。手前の覆いが架かっているのが礎石です。トレンチを見ても門の配置は全く判りませんでしたが、おそらく池の尾門と同様の構えだと思われます。

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城内から見た堀切門跡。土の部分が門のあった所で、後方の森は土塁によって築かれた防護壁です。

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旅のフォトギャラリー ~熊本県の石橋~ ’09.09.18

旅もいよいよ終盤戦。熊本県の石橋の知名度NO.1の通潤橋を訪ねました。日程をあれこれ考えて、場合によっては割愛しようと思っていましたが、やはり外せないと考えて訪れることにしました。

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通潤橋への途中に偶然通りかかった下鶴橋。あまり知られていませんが見事な単式アーチ橋です。橋の袂には下鶴橋の銘を記した石の碑が建てられています。

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水田を作れなかった台地に谷を越えて水を送るために農民によって架けられた通潤橋。技術的な課題をクリアする為にこの時代には珍しく実証試験を行ったり、熊本城の石垣に携わる石工を動員したりして完工されました。

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九州には通行のために作られた石橋が多く残っていますが、水利のために架けられた橋はそんなにありません。

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通潤橋の完成は1854年。今から155年も前のことです。全長79.6m、幅6.6m、水面からの高さ21.4mの堂々とした橋ですが、流石に時の流れには逆らえず、上部からわずかに漏水の飛沫が光っているのが望めます。

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この橋の完成によって多くの田が拓かれました。橋の上手には見事な棚田が広がっていました。

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緑川に架けられた霊台橋。全長90m、水面からの高さ17mで通潤橋の7年前に完成しました。その技術的な高さから通潤橋の設計に大いに影響を与えたようです。

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まるで空に架かる虹のように美しいアーチです。

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熊本県下益城郡美里町にある二俣橋。二つの石橋が直交する大変珍しい橋です。国道からわずかに外れている為、中々探し当てることが出来ませんでした。

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当時は交通の要衝として架けられた重要な橋でしたが、離れた所に立派な橋が架かったので、今では文化財として大切に保存されています。

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旅のフォトギャラリー ~熊本城~ ’09.09.17

臼杵城址、岡城址を見て熊本城にやって来ました。城の持つ外観的な風景の他に軍事的な地形利用や防備の工夫まで考えながら見るとなると、一日に三つお城を巡るのは結構きついものがありますが、肥後52万石の居城で日本3大名城の一つとなると、ひるむ訳には行きません。

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西出丸越しの天守群。この石垣の高さを見るだけで堅城なのが判ります。

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西大手門。このすぐ南側に南大手門が並び立ちますがほぼ同様の造りです。

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西大手門内側。むき出しの柱が印象的ですが、城が木と石のハーモニーであることが良く判ります。

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西出丸からの宇土櫓。慶長年間の建造ですが、西南の役の50日の攻防戦を耐え抜いて守り切りました。

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本丸から見た宇土櫓。最上階に廻縁高欄をめぐらした三層五階の造りです。あまりに立派な外観から、加藤清正築城当時の天守ではないかとも言われます。今となっては焼失した天守の詳細が判りませんので、天守替わりの櫓とも言えなくもありませんが、古文書には五階御矢蔵と記されており、その位置からすれば櫓の一つと見るのが妥当と思われます。

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並び立つ大小の天守。1877年の西南の役で焼失し、1960年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。

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飯田丸五階櫓。熊本城は加藤清正によって築城されましたが、清正の没後、嗣子忠広が謀反の嫌疑により改易となり、新たに城主となった細川氏によって手が加えられました。技術の進歩によって清正時代より細川の代の方が石垣の勾配は急になって、垂直に近くなっています。

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横から見た本丸御殿。正面左側が清正時代、正面中央、右側シルエットの部分が細川時代の石垣です。シルエットの上部が垂直に近くなっているのが良く判ります。

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現存する重文の不開門。最近再建された本丸御殿近くに位置していますが、大賑わいの御殿と違ってこちらは貸し切り状態でした。

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旅のフォトギャラリー ~豊後 岡城址~ ’09.09.17

臼杵から熊本に行くのには高速を使うと随分と遠回りになります。下道を行けば距離は稼げますが、山越えとなります。地理不案内な私にはベストなチョイスが出来ませんので、ここもカーナビに丸投げしました。ナビの通りに走っていると竹田市を通ることが判りました。こうして予定にはありませんでしたが、岡城に立ち寄ることが決まりました。

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岡城は竹田にあるために竹田城とも呼ばれていますが、私は岡城の方が好きです。荒城の月のモデルの城として有名ですが、作詞は土井晩翠で、詞のモデルとなったのは仙台の青葉城や会津若松の鶴ヶ城と言われますから歌詞と岡城の情景は直接結び付かず、ちょっと複雑な関係です。ただ、詞とメロディのどちらもが素晴らしく、両者が上手くマッチしたからこそ名曲と呼ばれるのだと思います。

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大手門跡。これを見ただけでも城の規模が窺い知れます。岡城は東西2.5Km,南北362mもあり、我が国最大の山城です。

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朱印倉東側の通路。岡城は城全体の区割りがほぼ残されており、主要施設跡や家老屋敷跡などを見ることが出来ます。

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二の丸北側の高石垣。急峻な崖に堅牢な石垣で守りを固めています。岡城は1586年に島津の大軍に攻められましたが、これを撃退しています。高石垣は1594年に中川秀成が城主になってからの築造のようですから、島津の来襲時にはまだなかったことになります。

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本丸跡。岡城は山上を切り開いて築城されたので、立地上からも台風の風害を受けやすく、そのせいか最初の天守は築城から70年ほどで倒壊してしまいました。1774年に三層四階で再建された天守は周囲の櫓と多門櫓で結ばれた複合連結式の優美なものだったようで、そのまま幕末を迎えましたが明治の廃城令によって取り壊されてしまいました。この結果として荒城の月のモデルの城として全国的に知られるようになったのですが、一方で石垣上にそびえる優美な天守の姿も見てみたい気がします。

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西の丸南側の石垣。石組みの巧みさが見て取れます。城内の建物は廃城令によって全て取り壊されましたが、石垣を見るだけでも優れた城構えが判ります。

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かつての大手口であった近戸門跡。この門をくぐった左右に家老屋敷跡が残っています。

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旅のフォトギャラリー ~臼杵~ ’09.09.17

臼杵を知ったのは、恥ずかしながら石仏を訪れる外国人を取り上げたニュース映像からです。観光のメインルートから外れている臼杵市に多くの外国人が足を運ぶことにまず興味を抱きました。

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九品の弥陀像。(部分)日程の都合で早朝に到着したため、拝観者は私一人だけでしたが、朝の光の中で、国宝の仏たちがやさしく迎えてくれました。

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阿弥陀三尊像。ちょっとオリエントの香りが感じられます。

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如来三尊像(ホキ石仏第一群第二龕)。わずかに彩色が残っていました。

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如来三尊像(ホキ石仏第一群第三龕)。台座に開けられた大きな穴が目を引きますが、経文などが収められていたようです。

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古園石仏、大日如来像。臼杵石仏群を代表する顔です。かつて頭部は破損して落下したままになっていましたが、15年ほど前に修復されて元の姿を取り戻しました。何とも言えぬ穏やかな表情が多くの人を魅了し続けています。

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歴史的景観を保っている石畳の二王座歴史の道。石垣が目につく街でした。

臼杵には臼杵城跡が残っており、大門櫓が復元されていましたが、残念ながら城内一体が大規模な工事の真っ最中で風景写真の対象とはなりませんでした。

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旅のフォトギャラリー ~耶馬渓~ ’09.09.16

長崎の眼鏡橋がきっかけで、九州各地に石の橋が残っていることを知ったことが今回の旅の発端となりました。中でも耶馬渓橋は8連アーチ橋で石橋としては我が国最長なので外す訳には行きませんでした。

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耶馬渓橋の上流にある羅漢寺橋。橋の向こうに見える岩肌の下に青の洞門があります。

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菊池寛の小説「恩讐の彼方に」のモデルとなった手掘りのトンネル、青の洞門。この先に耶馬渓橋があります。

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アーチを八つ連ねる耶馬渓橋の全景です。並行してかけられた新しい橋の上から撮りましたが、車が通過するたびに結構揺れるので思いの他大変でした。少し手前に堰があるので、残念ながら水面に眼鏡状に橋が映ることはありません。

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現在は上流にダムが作られていますが、かつては増水の危険もあり流されることのないこのような石橋が必要とされました。

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耶馬渓橋のある大分県中津市から山越えの国道500号線を走っていたら、突然この橋が目に入りました。恵良川にかかる荒瀬橋です。この橋がきっかけで大分県宇佐市院内町に74もの石橋が残っていることが判りました。

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国道387号線沿いにある3連アーチの富士見橋。いかにも古びた橋と言った趣を持っています。夕暮れ間近で影が多くなってしまったのが残念でした。

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水面から随分高い所にかかっている鷹岩橋。鉄筋コンクリートや鉄のアーチ橋が実用化されるまでは最新技術だったのですが、新しい橋が併設された今も大切に保存されています。

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誤ったシグナル

現在沖縄本島以西に自衛隊は駐留していません。先の戦争で沖縄では熾烈な地上戦が行われ、民間人にも多大な死傷者を生み、更にその後長い間米軍の占領下に置かれた為、軍隊に対する嫌悪感が強い拒否反応となっているからです。したがって台湾とは111Kmしか離れておらず、沖縄本島よりも中国本土の方が近いにもかかわらず、日本最西端の島である与那国島にも自衛隊員は駐屯していません。

軍事的に見れば周囲を海に囲まれた島は敵の侵攻を極めて受け易く、専守防衛を旨とする自衛隊にとってこのような地に大規模な戦力を投射することは、リスクが大きいだけであまり上策とは言えません。しかし、政治的に見れば自国領土の防衛の意思を鮮明にするために、なにがしかの部隊を配備することは極めて意味のあることです。前政権末期に地元の誘致もあり、少数の陸自部隊を送る計画が持ち上がっていましたが、昨日新防衛相は派遣を明確に否定してしまいました。

軍事的実効性を考えれば中止も選択肢の一つだと思いますが、その理由がいけません。代々の外務省、防衛相と同じで、「いたずらに隣国を刺激すべきでない」と言うものです。言うまでもなく与那国島は我が国固有の領土であって、不法占拠をしているわけではありません。もし、配備するのが射程の長い対地ミサイル部隊であれば、そのような配慮も必要かもしれませんが、主権国家として最低限の部隊配置がどうして出来ないのでしょうか?また、軍事的に見れば相手が嫌がることこそ自国に利益になることです。例え配備をしないにしても外交のカードにも成り得たのに、お人好しにも程があります。このような文言は他国を利するだけなので、今後絶対に使うべきではありません。

中国は新政権を友好的外交方針を取る組み易い相手と判断しているようですが、このことで多少のことには手を出して来ないと言った、誤った判断をしてしまうのではないかと心配しています。竹島がそうですが、正当性はこちらにあるからと金持ちケンカせずの態度が今日まで解決を長引かせ、しかも益々相手を増長させているのです。北方領土を見るまでもなく、領土防衛に関しては絶対長期にわたって占領の既成事実を作らないのが、鉄則です。友愛の精神は大切かもしれませんが、治に合って乱を忘れないのが国防の要諦だと思います。

我が国はかつて蒙古軍の襲来をうけましたが、それ以前にも外敵の脅威にさらされたことがありました。663年朝鮮半島の百済に肩入れしていた我が国は白村江の戦で唐と新羅の連合軍に大敗し、その勢いで海を渡って侵攻されることを恐れた大和朝廷はあわてて各地に城を築いて防衛線を張りました。太宰府防衛のために大野、金田城の城を築き、更にその後方支援のため熊本県に鞠智(きくち)城を築いて備えました。その甲斐あってか、幸い唐&新羅軍の来襲はありませんでしたが、国の存亡がかかった、まさに国難と言える事態でした。今日の状況はこのように切迫したものではありませんが、外敵に備えた準備はしておくに越したことはないと言うことです。

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国の指定遺跡となっている山鹿市の鞠智城跡。国土防衛のため各地から防人が送られて国土警備に当たった兵どもの夢の跡です。

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白い彼岸花

彼岸花と言えばあの赤い花が印象的ですが、世の中には白い種類もあるようです。家の近くでたまたま見つけたので、ちょっとカメラに収めてみました。

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気のせいか赤い花とは少し形が違うようにも思いますが、茎やつぼみは同じようです。

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白い猫でも黒い猫でもと例えたのは中国の鄧 小平でしたが、こうして見ると赤くても白くても彼岸花は彼岸花ですね。

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旅のフォトギャラリー ~秋月~ ’09.09.16

朝倉の水車群も秋月も手持ちのガイドブックには記載がありませんでした。カーナビを頼りのドライブとなったのですが、県道80号線は近づくにつれて歴史の道となり、すれ違いもままならないクネクネ道となってしまいました。帰りは次の目的地を入力したところ国道322号でルート表示、こちらは走り易い広くてストレートが多い道でした。最初からこちらをと、ついつい愚痴が出てしまいました。

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町の入口に架かる文化7年(1810年)竣工の眼鏡橋。花崗岩の橋はここだけとのことですが、完成間近で崩壊し再建造されたので、この規模でも5年の工期がかかったそうです。何故か流れと橋が直交していません。当初と流れの向きを変えてしまったのかも知れません。

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戸羽半九郎の屋敷跡を利用した秋月郷土館。各種資料の他、川合玉堂や横山大観、シャガールやルノワールと言ったそうそうたる大家の作品が展示されていてびっくりしました。

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各種の武器や民具が展示されている資料館。ここも貸し切りでした。

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秋月氏の時代に作られ、後年黒田氏により秋月城の大手門に移築された黒門。築700年以上経っているそうです。

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現存する黒田氏時代の秋月城唯一の遺構である長屋門。

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滑り止めに土中に瓦を埋め込んだ瓦坂。日常の登城の際の通路だったのでしょうか。

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現在城跡の大半は中学校の用地として使われています。背後の山に溶け込むような木造の校舎に何とも言えない温かさを感じました。

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県道80号線沿いの家並み。ここは中心部に近いので流石に道幅はゆったりしています。

郵便の事業体が変わっても、変わらぬ赤いポストにこの町の人々の郷土への思いを感じました。

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国道322号線沿いの家並み。のどかに見えますが、休日になれば多くの観光客で大渋滞になるそうです。

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旅のフォトギャラリー ~水車の町朝倉~ ’09.09.16

私の認識では水車は水流を利用して回転する動力を得るもの、つまり粉挽きや皮むきに使う設備のことでした。ところが、回転を利用して水をくみ上げる水車が存在し、しかも二連や三連の水車が実際に回っている所があると知ってどうしても行ってみたくなりました。

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福岡県朝倉市菱野にある三連水車です。筑後川からの水を堀川に分流し、堀川から水田に導水するのに水車が必用でした。外国では今でも人間が足で水車を回している所がありますが、川の流れを利用して水をくみ上げることを考え付いたのは余程の知恵者だったに違いありません。

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水車の外側に水の入る容器があり、真上に行くと樋に流れる仕掛けです。水車は川の流れによって回り続けます。

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二連、三連にしたのは多くの水を得るためです。

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菱野から少し下った所にある三島の二連水車。こちらも勢い良く回っていました。

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更にその下流にある久重の二連水車です。咲き乱れる黄色いコスモスに地元の方の水車に寄せる愛情を感じました。

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間違えて最初に寄った水車公園(三連水車の里あさくら)にある鋼鉄製の三連水車。こちらも流れの中ですが、観光用にモーターで強制的に回しています。堀川の水車は稲作をしていない秋から春までの間は回していないため、その間は回っている水車はここだけとなります。

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旅のフォトギャラリー ~長崎~ ’09.09.15

長崎のイメージとして真っ先に浮かぶのは坂と港と異国情緒・・・・。島原から長崎に向かう時、カーナビの目的地を何処にしようか一瞬考えました。そして、迷わず選んだのが長崎港でした。ここに車をおいてぶらぶらと市内を散策することにしました。

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歩きだしてすぐ目に留まりました。なぜか急に長崎にいることが実感出来てうれしくなりました。

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中島川に架かる眼鏡橋。水面に映るとなるほどメガネそのままです。市街地にあるので思ったよりも小さな橋でした。観光客が次々と訪れていましたが、橋の中央に立ち止まり延々と長話を続けたビジネスマンのグループの貴方達、そんなKYではビジネスの成果も知れていますよ。

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技術の進歩か、アーチが大きくなっています。近年の水害では眼鏡橋のように橋脚を持っていると流木が引っ掛かって橋が崩れる事例もありましたが、これなら安心です。

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石畳のオランダ坂です。もっと人通りで賑やかな風景を予想していましたが、平日故か静かな空間でした。

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長崎は坂の町と言われますが、このオランダ坂界隈の斜度はこれ位です。慣れているからか、タクシーが結構なスピードで下って行きました。

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40年振りのグラバー邸。当時より垢抜けたような気がしましたが、絵葉書どおりの姿でした。

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こんごう型イージス艦ちょうかい。グラバー邸からは長崎港が良く見渡せます。対岸の三菱重工の岸壁に弾道ミサイル防衛に改修したイージス艦のちょうかいが停泊していました。青いシートの部分はイージス用のSPY-1レーダーアンテナです。多分メンテナンスでカバーを取り外しているのだろうと思います。ちょうかい以外の3隻のこんごう型及びあたご型の2隻のイージス艦はすべてこの長崎造船所で建造されましたが、何故かIHIで建造されたちょうかいが佐世保に配属されています。

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ヘリコプター搭載型護衛艦くらま。ひゅうが型DDHが登場するまでヘリコプターを3機搭載出来る海自最大のDDHでした。

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旅のフォトギャラリー ~島原~ ’09.09.14

島原城と原城はよく混同されますが、天草四郎の天草の乱で一揆軍が籠ったのは島原城築城で廃城となった原城で、島原城からは20Kmほど離れた別の城です。

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本丸跡に天守、三重櫓が古図を参考にして再建されています。島原城の内濠はあまり水位がなく、石垣の高さを引き立てる結果となっています。Photo_21

二の丸跡。二の丸の外観を見ると島原城が堅城であったことが良く判ります。島原城は松倉重政によって対キリシタンの城として築かれた勇壮な城でしたが、養子勝家の圧政に立ち上がったキリシタンの島原の乱によって勝家は切腹を命じられ、以後城主が変転することとなりました。そんなことがあってか雑草が生い茂るままとなっており、住民の愛着が感じられないように思われるのは残念なことです。

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島原城の野外に展示されている石で出来た水道管と籠城の際の食糧備蓄用の瓶。二の丸跡を公共施設として利用しながら、郷土の文化財をこのような形で展示している島原市の神経が判りません。

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鉄砲町に残る水路と武家屋敷。水路は上水道として使われていたものです。

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流れる水は今でもすくって飲みたくなるほど清らかでした。

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水路周辺は住民の協力によって歴史的景観が保たれています。

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公開されている武家屋敷の一つである篠塚邸。他の邸宅もそうでしたが、屋根の藁ぶきが傷んだまま放置されているのが残念でした。

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山本邸にある障子戸の透かし彫り。武人でありながら風流をたしなんでいたことが、良く判ります。

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道の駅みずなし本陣ふかえから見た朝の普賢岳(平成新山?)。後列右側が愛車です。

島原は1763、1792年と噴火による災害をたびたび経験してきましたが、その都度復興して今日に至っています。ここ深江地区は平成3年に始まった大噴火によって甚大な被害を受けました。その被害の大きさは14日付の「今日は島原まで」の添付写真の通りですが、今日その痕跡を感じさせないほど見事に復興し、日常生活を送っていることにこの地に生きる人々のたくましさを強く感じました。

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旅のフォトギャラリー ~姫路城 その2~ ’09.09.13

天守はその威容を誇示して城主の権威を世に知らしめるために建てられました。そして、幕藩体制が崩壊し新しい政府が樹立された時、城はその役割を終えました。しかし見る角度を変えると違う顔を見せ、建てられてから400年以上経った今日でも見る者の心を捉えて離さないのは何故でしょう。

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備前丸からの天守。たくさんの門をくぐって、やっとここまで辿りつきました。

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天守の窓にある雨戸。比較のために持っていた手帳を置いてみました。防弾の為、厚さ10cm程もある板が使われています。

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天守内部に供えられた火縄銃。機能重視の形状から幕末近くのものと思われますが、銃床の形がきっちり揃っており、一定の規格で作られていることがうかがえます。

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天守内部に使われていた釘隠し。くり抜きの穴はどう見ても ハート型ですが、あの時代に既に伝わっていたのでしょうか?

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現在では高層の建物に避雷針は当たり前ですが、それがなかった昔は天守や寺院の高塔の多くが落雷による火災で焼失しています。この鯱のおかげかどうか、ここは火災には遭わずに済みました。

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石垣の角の部分はロッククライミングで言うところのカンテ登りの要領で登られてしまう可能性があります。これを防ぐために石落しが設けられ、ここから攻め手に岩石をぶつけます。

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西の丸の南端から。

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西の丸化粧櫓から。

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天守群が聳え立つ姫山を望んで。城は多くの人がかかわり、時間や多額の費用、労力をかけて築き上げてきましたが、こうして眺めると天守が多くの建物群に守られていることが良く判りました。

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旅のフォトギャラリー ~姫路城 その1~ ’09.09.13

城郭が好きで、この夏には彦根城、上越高田城、青森の弘前城の各城を訪ねて来ましたが、以前から姫路城が気になっていました。日本城郭史上の最高傑作と謳われる姫路城ですが、現在の建物群として築城400年を過ぎこの秋から平成の大修理が予定されています。春、秋の観光シーズンの谷間で、しかも暑さの峠を過ぎた頃を狙って再訪することとなりました。

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入場口付近からの天守です。

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現在でも姫路城は大城郭ですが、本来は現在の何倍もの規模の城でした。現在の大手門と言える菱の門です。

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ろの門をくぐった二の丸内部。元々は西の丸と本丸とは別の城だったのが、二の丸でつながれて一つの城となったようです。虎口の設け方、直進出来ない通路の作り方は巧みとしか言いようがありません。

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いの門を睨む鉄砲狭間(はさ)が並ぶはの門への坂。

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にの門は櫓の下をくぐる構造となっていて、しかも内部で直角に曲がっています。これでは大勢の軍勢が一気に押し寄せることは出来ません。

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搦手登郭口からの天守。搦手口からは急坂となっており、との門が最後の守りを固めています。

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もう一つの登郭口であるぬの門。二の丸からあまりに簡単に辿りつくことが出来るので、今では残っていない障害が設けてあったのではないかと思います。菱の門内側の三国濠には手を加えた痕跡が認められるとのことなので、当初は今よりももっと二の丸に食い込む形で作られていたのかも知れません。

姫路城その2に続く soon

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余韻

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九州の各地を巡る旅から帰って丸1日以上が経ちましたが、精神の高ぶりが治まりません。今回辿った所の中には、その昔高校の修学旅行で訪ねた土地も含まれていて、当時を思い出したりもしました。また一方で新たな出会い、収穫もあり私の貧弱なメモリーは飽和状態となってしまいました。今回の旅を何とか纏めてみたいと思うのですが、どうやら少しクールダウンの時間が必要なようです。とりあえず500枚以上撮り溜めした写真を少しずつ紹介しようと思います。

尚、ブログの制約で1度に1Mバイトまでしか写真がUP出来ませんので、分割したり画素を落してたりしていますのでご了承下さい。

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各地でこの花を見かけました。これからこの花を見ると今回の旅を思い出すことになることでしょう。

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旅は終わってしまった

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今日は秋吉台を9時40分にスタートして、美祢ICから帰路に着きました。ニュースでは各地の高速の渋滞を伝えていて戦々恐々としていましたが、反対車線は結構渋滞が見られるものの、意外とスムーズに走ることが出来ました。途中多少の渋滞に引っかかることもありましたが780Kmを10時間ほどで無事走ることが出来ました。正直ほっと一息つきましたが、全行程2964Kmの一つの旅の終焉の瞬間でもありました。

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最後の朝

最後の朝
山口県の秋吉台に来ています。夕方は黒い雲が懸かっていましたが、夜半にはきれいな星空となっていました。今朝も写真のような素晴らしい晴天です。

今回の旅も9日目を迎え、いよいよ最後の朝となりました。大型連休の日曜日、どんな1日になるのでしょうか?

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秋芳洞は大勢の観光客で駐車場は満杯状態、秋吉台もトレッキング客で賑わっていました。

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旅について

旅について
今日も旅を続けています。旅行と言わず、敢えて旅とこだわるのは旅程をまったく決めていないからです。勿論大まかな目的地は前もって絞ってあるのですが、実際に現地に行ってから行く先を決めています。
これも時間を自由に使える立場にいるからこそ出来る訳で、最高の贅沢と言えるのかも知れません。
またまた石橋を巡り歩きました。写真は単式アーチとしては最大と言われる霊台橋です。随分立派な橋なのですが、ここも私1人の貸し切り状態でした。やはり旅人でなければこのような訪ね歩きは難しいのかも知れません。

PS
山奥さんに業務連絡です。明日の予定をこのスレでお知らせ下さい。前回提示の二案のどちらかで結構です。

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火の国までやって来ました

火の国までやって来ました
今日は臼杵の石仏を見た後、熊本を目指してハンドルを握っていると滝廉太郎の荒城の月のモデルとなった竹田市に差し掛かりました。そこで急遽、予定を変更して岡城を見学しました。岡城は思ったより大きな城で、山城としてはかなり大きな城ではないかと思いました。

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危ない、危ない

危ない、危ない
今日は朝倉の水車群を見た後、秋月の城下町を巡り、その後耶馬溪に行って石橋を見て来ました。写真は八連アーチの耶馬溪橋です。
さて、朝倉の水車ですが、ガイドブックに載っていないのは承知していましたが、カーナビにも登録されていなかったので地図を頼りに近くまで行ったところ、三連水車の里と言う施設がありました。やれやれと写真を撮って走り出すと水路になんと三連の水車が回っているではありませんか。???
どうやら最初の水車は観光用に設置されたものだったようです。うっかりして本物を見落とすところでした。

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長崎は今日は曇りだった

長崎は今日は曇りだった

島原と熊本は海をはさんで1時間ほどの距離です。陸地を大回りするよりも、島原からフェリーで熊本に渡ろうとも思いましたが、やはり長崎は飛ばせないのでUターンして長崎に行って来ました。一番のお目当ては眼鏡橋です。携帯のカメラに慣れていないので添付の写真は冴えませんが、帰ったら改めてカメラの写真をアップします。

長崎は高校の修学旅行以来で、いくら記憶を辿っても当時の思い出は蘇って来ませんでした。オランダ坂に行って、さだまさしの歌の一節を(絵葉書坂: 活水あたりはまだ、絵葉書通りの坂~♪)久し振りに思い浮かべましたが、我が身の移ろいをしっかり感じてしまいました。明日は静かな?城下町を訪ねるつもりです。

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今日は島原まで

今日は島原まで
今日は長崎県の島原まで来ました。鉄砲町に残る武家屋敷が目当てです。石造りの水路と塀がとても素敵な空間でした。その後普賢岳の火砕流で埋もれた民家を保存した公園に行きましたが、あまりの凄まじさに度肝を抜かれてしまいました。

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火砕流に埋もれた人家。映画のセットのようですが、この地で実際に起きた被災家屋11戸を当時のままの状態で保存しています。深さは平均で2.8mあります。幸い住民は事前に避難していたので、人的被害はなかったそうです。周囲も今ではすっかり復興してこういうモニュメントがなければ見過ごしてしまいます。

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関門海峡を超えて

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今日はお目当ての姫路城に寄って世界遺産に登録された文化財を堪能して来ました。
昼過ぎに姫路を経って一路九州へ。夕暮れの関門海峡を渡って出来て間もない道の駅に到着。明日の予定は起きてから考えることにします。

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道の駅にて

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石造りの建造物を訪ねる旅に出た。最初の訪問地はまもなく大規模な修理が始まる姫路城。とりあえず今夜は手前の道の駅で車中泊。静かな夜になるといいのだけれど。

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プロジェクトX Ver.3 その2

車中泊にとっての2大テーマは居住性とカーゴスペースです。これはベース車にも言えることなのですが、乗車時と就寝時の居住性はトレードオフの関係にあり、メーカーにとっては車内で就寝することは本来(建前的には)想定外の使用方法です。仮眠程度であれば、シートを倒して横になれば良いのですが、安眠しようと思うと現在の車のシートは凹凸がありすぎます。そこでプロジェクトXなる試みを続けているのですが、カーゴスペースを確保しながらフラットフロアを得ようとするとどうしても床高が高くなってしまいます。そうすると車内クリアランスが不足して圧迫感を感じてしまいます。

Ver.1、Ver.2と実際に使いながら不具合点を直してきたのですが、やはり床高が気になります。そこで、Ver.3ではパネルのセット方法を根本的に変えることにしました。↓

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パネルは最初からのものなので、つぎはぎだらけになってしまいましたが、Ver.2に比べて約7Cm、Ver.1からでは約14Cmのダウンです。これで天井からの圧迫感からは解放されそうですが、荷物の積載には色々と差しさわりが出そうです。今日からまた車中泊の旅に出ますが、道中じっくりと使い勝手を確かめて来ます。

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それ見たことか

米国政府が三沢基地に駐留するF-16、40機全数を年内にも撤収する意向であることが明らかになりました。F-16は戦闘機となっていますが、F-2のベース機になったことでも判るように、対地攻撃能力に優れた機体で、半島有事の際の即応兵力として駐留しています。更に嘉手納基地のF-15の一部も削減する構想もあるようです。これで我が国における米空軍の即応力は大幅に低下することとなります。以前民主党の小沢代表代行が駐留米軍の規模について発言した際に、軍事状況について不見識であると散々たたかれましたが、何のことはない、その状況が当の米軍の都合で実現しようとしているのです。米軍は前方に展開する部隊を中国本土から距離を置く戦略に切り替えつつある中で、いつまでも我が国に第一線部隊を置き続けると考えることこそがおかしいのです。また、来月米朝交渉が持たれるとの話もあり、朝鮮当局者から朝鮮有事はあり得ないとの何らかの密約もしくは言質を得ている可能性もあり得ます。

現与党は国防の根幹を米国に依存することで我が国の発展がなされて来たと主張してきましたが、本来国防は国の基本であり、経済基盤が脆弱な途上国ならいざ知らず、世界有数の経済力を持つ国が、いつまでも他国に依存することのほうが恥ずかしいことです。勿論、米国との協調、同盟関係維持は必要ですが、いい加減に自分の頭で考え、自分の足で立つことを自覚すべき時期になったと言うことではないでしょうか。

それにしても国際貢献を理由にインド洋での給油打ち切りについて注文を付けていながら、その裏で自国の都合を最優先するなど、まさに米国流の真骨頂です。新内閣にも是非このしたたかさを見習って欲しいものです。

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H-ⅡB打ち上げ成功

来年に予定されるスペースシャトルの退役後、国際宇宙ステーションISSへの物資補給が期待されるHTV技術実証機を搭載したH-ⅡB試験機(1号機)が本日午前2時1分種子島宇宙センターから打ち上げられ、HTVを予定軌道に投入することに成功しました。H-ⅡBロケットは従来のH-ⅡAに使われているメインエンジンLE-7Aを2機搭載して打ち上げ能力をアップしたもので、HTVの満載質量16.5トンをISSの軌道に打ち上げることが出来ます。海外のロケットでは推力アップの手段としてエンジンを束ねて使用する手法は既に一般化していますが、我が国では初のロケットとなり、問題となる技術的要素はないものの実際に打ち上げられるまでは安心できませんでした。

またHTVは物資を積載する補給キャリアと呼ばれる貨物室を二つ備えています。一つは1気圧に与圧されており、ISSから宇宙服なしで乗り込んで積み下ろしの作業をすることが出来るようになっています。今後これを改造して大気圏に再突入出来る構造にして、有人宇宙船にする構想が持ち上がっており、その推移が大いに期待されます。

今回の打ち上げ成功は、宇宙開発に対する過度な制約を押し付ける理不尽な政治的な圧力を受け続けた我が国の宇宙開発にとって見事な大輪の花を咲かせた正に快挙と言えるでしょう。また2003年11月29日のH-ⅡA6号機の打ち上げ失敗以来これで10回連続で打ち上げに成功、H-ⅡA初号機からでは16回中15回、93.8%と信頼性の高いことを実証しました。日本のロケットの更なる飛躍に期待したいと思います。

※我が家の梅の木に巣をかけたキジバトに無事2世が誕生した模様です。こちらも無事羽ばたいてくれることを祈っています。

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プロジェクトXその3

前回、フロアの高さをもう少し下げたいと思いながら上手く構想が纏まらず、そのままになっていましたが、やっと改造案が出来ました。さて、どんな仕上がりになりますか。

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法の下の平等

民主党の新人、田中美絵子議員に露出度の高い映画への出演歴があることが判り、物議を醸しているようですが、何が問題になるのでしょうか?作品が違法なものであれば問題でしょうが、江戸川乱歩原作のまっとうな作品のようです。どうも我が国では議員>一般国民との認識が強すぎ、大学教授や経営者などいわゆる社会的地位を得た人でないと議員たる構成要因を欠いていると思われているのではないでしょうか?

現在の政治状況を見ても、本来プロであるはずの与党政治家が社会を疲弊させ、財務官僚によって国家財政が破綻同然、年金庁が積立金の運用失敗で10兆円以上の損失を出しています。なのに誰もその責任を取った人間はいません。麻生さんは任期切れ直前になって自民党総裁を辞任するそうですが、総選挙での敗北責任を取ってであって、国家運営については間違いはなかったと述べています。

田中議員はまだ登院もしていませんからその手腕は未知数です。その政治手腕、結果について問われるのであれば仕方ありませんが、映画に出演したと言う過去の経歴をつついて非難するのは如何なものでしょうか。他国のことを引き合いにだすのも何ですが、俳優出身の大統領や州知事を選出した某国の例もあります。勿論内政干渉にもなりかねない話ですが、当時我が国からそのことについて雑音が起きたような記憶がありません。確か我が国にはこんな言葉があった筈です、「職業に貴賎なし」と。法の下において全ての人間は皆平等なのではありませんか。

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再び22DDHについて

22DDHについて民主党からは今のところ何の反応も聞こえてきませんが、ネット上では引き続き様々な憶測がなされています。大きな流れとしては哨戒ヘリの集中運用を目指したもので、島嶼防衛などの場合によっては陸自ヘリも搭載するのだろうと言ったところです。また、示されている装備にVLS(ミサイル垂直発射装置)が見当たらないことから個艦防衛能力の不足を指摘する声もあります。速力30ノットを確保していることから作戦時には長射程ミサイル搭載護衛艦との艦隊行動となり、防御はそちらに依存するのかもしれませんが、豊富な護衛艦船が空母を守る米機動部隊と違って、保有する艦船が限られる自衛隊では護衛艦隊の作戦能力を制限することにも成りかねません。

DDHの呼び名はHericopter Defense Destroyer から来ており、 Destroyerとは潜水艦ハンターから由来したものであることからすれば、何の対潜武装もないのにDDHの呼称はちょっとどうかと言われても仕方ありません。搭載するSH-60Kが対潜用の短魚雷を装備しているので、対潜攻撃が全く出来ない訳ではないのですが悪天候などを考えた場合、相手は海上の天気には関係なく攻撃出来ますので、最小限のセル数でもVLSか短魚雷発射管の装備は必要と思われます。まあ、この辺はまだ素案でしかないので、建造時に追加されるか後日装備となる可能性もありますから今後を見守るしかありません。

そして何故あの大きさなのかと言うことについては相変わらず全く判りませんが、22DDHは今後2隻が建造予定で、16DDH型のひゅうが、いせと合わせて各護衛隊群1隻ずつの4隻体制となる予定です。22DDHと並行して、BMDに特化した時のイージス艦の防空力を補佐する19DD型が今年度から2隻建造され、こちらも護衛隊群に各1隻ずつ配備される予定です。この19DD型は最大でヘリ2機を運用出来る構想ですが、一切の整備・補給を22DDHで行うことにすれば、19DD側の整備員を減らすことが出来、定員の充足率に悩む海自にとって省人、経費削減の一石二鳥とはなる筈です。

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転ばぬ先の・・・

雪のない季節に、ある程度の山に登る時には専らSIRIO社の登山靴P.F.660-GTXを履き続けています。SIRIOの靴は日本人の足に合わせて作られているので、私のような甲高・幅広の足にもしっかりフィットしてくれます。しかし購入から7年を過ぎたので靴底の張替をすることにしました。最近の本革を使わない登山靴の場合、ミッドソールにウレタンを使用しているため、靴底がそんなに摩耗していなくてもミッドソールがいきなり破損して使用不能になることがありますので、それの予防の意味合いもありました。修理期間は約30日、従って八甲田山や前三つ頭には予備の靴で登りましたが、やはりしっくりしませんでした。

そして昨日、張替が終わって手元に戻ってきました。SIRIOは、なんちゃってではなく本物のビブラムソールを使っているのですが、パターンが以前のものとは変わっていました。P.F.660モデルも今ではP.F.662に進化し、値段も1万円近くUPになっています。新しいソールになった660にはまだまだ頑張ってもらわなければなりません。

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山里で一夜

毎年この時期に閑人倶楽部のキャンプをします。例年山の上の会場なのですが今年はさる方の別荘を借りて行うことになりましたが、総勢16名で盛会でした。

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川沿いにある山里の山腹にある古民家を改築した別荘です。お隣ともしっかり距離があるので、大いに盛り上がっても迷惑になることはありません。但し標高が低い分だけ気温があまり下がらなかったのが玉にキズでした。宴の翌朝は静かに明けましたが、その後ミンミンゼミの大合唱になったのにはびっくりでした。

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敷地内で見つけたエノコログサ。ノーリードのワンコが朝の散歩を満喫していました。

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白いオミナエシのオトコエシかと思いましたが、帰ってから調べたら ヒヨドリバナのようです。ヒヨドリが鳴く頃咲くのが名前の由来だそうですが、最近のように里に居付いてしまうと名前とそぐわないと感じてしまうのは私だけでしょうか?

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22DDHの目指すものは?

総選挙の結果を受けて世間が騒然としている最中の8月31日に防衛省が平成22年度の概算要求を公表しました。74、90式の更新となる10式(制式化予定)新型戦車や新型哨戒機P-1などこれからの防衛の根幹をなす装備の中に22DDHの要求があり軍事愛好家の耳目を集めています。DDHと言うのはヘリコプター搭載護衛艦のことで、従来型のはるな・しらね型では哨戒ヘリコプターを3機積んでいます。それが16DDH、18DDHであるひゅうが型で最大11機となり、実質的なヘリ空母となっていました。またはるな・しらね型では船上では大規模な整備が出来ませんでしたが、ひゅうが型では格納庫内で天候に左右されることなく整備が可能となっています。これは長期間対潜作戦を行う上で非常に大きなアドバンテージです。そして22DDHですが、基準排水量19500t、全長248mもあり搭載ヘリは過小申告でしょうが最大14機となっています。ちなみに16DDHは基準排水量13950t、全長197mですからふた廻り程大きくなったことになります。さらに燃料補給機能を持ち、3.5tトラック50台、最大4000人を輸送出来る能力があるとされます。

政策評価書の事前の事業評価によれば「周辺海域の防衛能力及び海上交通の安全確保。国際平和協力活動、大規模災害派遣等の多様な事態に対応するため」(筆者要約)としています。しかしこの用途は多分に建前的であると言うのが一般的な見方です。まずこの大きさですが、他国では軽空母、強襲揚陸艦に匹敵するサイズです。ハリアーGR.7/GR.9、10機を搭載する英海軍軽空母インヴィンシブルが基準排水量16000t、全長210mですからこれをしのぎ、ハリアーⅡ6~8機を搭載する米海軍のワスプ級強襲揚陸艦の満載排水量40032t、全長257m、に迫る大きさである訳です。早速中国から、軍拡競争を引き起こすものとのクレームが起きていますが、SLBMを配備し、通常動力攻撃型空母を建造しようとしている国から言われる謂われはありません。

16DDHが計画された時も将来的に固定翼機を搭載して空母として運用するつもりだと散々たたかれましたが、その時はそのような計画はなく、全長が短く船体も小さいので固定翼機の運用には向かないとされました。そして今回の22DDHですが、防衛省は前回同様に運用予定はないとしていますが、額面通りには受け取れません。それは固定翼機の運用の障害が存在しないサイズであるからです。ですから何故この船体サイズなのかと言うことが妄想を掻き立てます。以下思いつくまま妄想を並べてみます。

①強襲揚陸艦として島嶼防衛にあたる。

これが一番妥当なところだと思いますが、有事の際にひゅうがいせおおすみなどと連携し、AH-1SやCH-47を満載して迅速に防衛線を構築する。奪還の場合はヘリボーンや対地支援によって一気に敵上陸部隊の背後を衝いて補給を断つ。

②米海兵隊との連携。

①のバリエーションですが、甲板はスキージャンプ型としておいて、有事に在日米軍保有のハリアーⅡのプラットフォームとして使用し、遠方から島嶼防衛のための対地支援を行う。     

③台湾有事の際の中国潜水艦の阻止。

これも日米共同行動に基づく作戦ですが、多数のSH-60Kにより米空母の台湾接近阻止のために遊弋する中国潜水艦の牽制。

④海外災害派遣、海賊対処。

これは額面通り。

⑤UAVの運用。

現在実証試験中の小型無人偵察機の着陸用母艦。高速を利用して光学偵察を行うと言われていますが、統合電子戦装置を搭載すれば有人のリスクなしで敵の電波情報が入手可能となります。また攻撃機として運用する時はペイロードによって短縮された帰りの航続距離を補うことが可能となります。

⑥海自待望の空母として

現在の周辺状況からして必ずしも空母の保有が求められるものではありませんが、離島防衛の対地支援や対艦攻撃において固定翼機の存在は作戦の幅を広げます。但し、カタパルトの装備は今のところ無理なのでVTOL機が必要ですが、ハリアーは生産を終了しており、F-35Bはいつ導入出来るか目途が立っていないので、まずここをクリアしないと画餅に終わってしまいます。

いずれにしても新政権の安全保障政策が必ずしも明確になっていませんし、防衛予算枠も不透明のままですから22DDHがすんなり承認されるかは判りません。しかし16DDHの計画の際には世論の動向を気にして別案イラストの観測気球を上げてから、本命の船体イラストが公表されたことを思えば、最初から直球勝負が出来るようになったのは喜ばしいことだと思います。   

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どうした自民党

自民党の次期総裁選が混迷しています。今までは総裁イコール総理大臣(唯一例外は野党時代の河野洋平氏)でしたから、泡沫と思われる候補まで乱立気味でしたが、党再建の重荷がのしかかる状況では誰も逃げ腰になっているようです。

万年与党の指定席にあぐらをかいて来ましたから、冷飯暮らしの覚悟が出来ていないのだと思いますが、4年前は民主党が大敗をして多くの議席を失ったものの、臥薪嘗胆で奮闘し今回の政権奪取を迎えました。自民党も再起を期して尻尾を垂れずに敗戦の原因を明らかにして、政権の受け皿となるべき強力な野党としての陣容を早急に立てるべきではないでしょうか。世界レベルでみれば政権交代など日常茶飯事で、台湾の国民・民進党、英国の保守・労働党の先例など、その気になればいくらでもお手本は転がっています。

今こそ党の先頭に立つ真のリーダーが必要な場面ですが、その気概を見せてくれる人材が見当たらないようでは党勢、支持率の回復など夢物語でしかないでしょう。

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