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2009年9月27日 (日)

旅のフォトギャラリー ~豊後 岡城址~ ’09.09.17

臼杵から熊本に行くのには高速を使うと随分と遠回りになります。下道を行けば距離は稼げますが、山越えとなります。地理不案内な私にはベストなチョイスが出来ませんので、ここもカーナビに丸投げしました。ナビの通りに走っていると竹田市を通ることが判りました。こうして予定にはありませんでしたが、岡城に立ち寄ることが決まりました。

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岡城は竹田にあるために竹田城とも呼ばれていますが、私は岡城の方が好きです。荒城の月のモデルの城として有名ですが、作詞は土井晩翠で、詞のモデルとなったのは仙台の青葉城や会津若松の鶴ヶ城と言われますから歌詞と岡城の情景は直接結び付かず、ちょっと複雑な関係です。ただ、詞とメロディのどちらもが素晴らしく、両者が上手くマッチしたからこそ名曲と呼ばれるのだと思います。

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大手門跡。これを見ただけでも城の規模が窺い知れます。岡城は東西2.5Km,南北362mもあり、我が国最大の山城です。

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朱印倉東側の通路。岡城は城全体の区割りがほぼ残されており、主要施設跡や家老屋敷跡などを見ることが出来ます。

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二の丸北側の高石垣。急峻な崖に堅牢な石垣で守りを固めています。岡城は1586年に島津の大軍に攻められましたが、これを撃退しています。高石垣は1594年に中川秀成が城主になってからの築造のようですから、島津の来襲時にはまだなかったことになります。

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本丸跡。岡城は山上を切り開いて築城されたので、立地上からも台風の風害を受けやすく、そのせいか最初の天守は築城から70年ほどで倒壊してしまいました。1774年に三層四階で再建された天守は周囲の櫓と多門櫓で結ばれた複合連結式の優美なものだったようで、そのまま幕末を迎えましたが明治の廃城令によって取り壊されてしまいました。この結果として荒城の月のモデルの城として全国的に知られるようになったのですが、一方で石垣上にそびえる優美な天守の姿も見てみたい気がします。

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西の丸南側の石垣。石組みの巧みさが見て取れます。城内の建物は廃城令によって全て取り壊されましたが、石垣を見るだけでも優れた城構えが判ります。

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かつての大手口であった近戸門跡。この門をくぐった左右に家老屋敷跡が残っています。

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