旅のフォトギャラリー ~姫路城 その2~ ’09.09.13
天守はその威容を誇示して城主の権威を世に知らしめるために建てられました。そして、幕藩体制が崩壊し新しい政府が樹立された時、城はその役割を終えました。しかし見る角度を変えると違う顔を見せ、建てられてから400年以上経った今日でも見る者の心を捉えて離さないのは何故でしょう。
備前丸からの天守。たくさんの門をくぐって、やっとここまで辿りつきました。
天守の窓にある雨戸。比較のために持っていた手帳を置いてみました。防弾の為、厚さ10cm程もある板が使われています。
天守内部に供えられた火縄銃。機能重視の形状から幕末近くのものと思われますが、銃床の形がきっちり揃っており、一定の規格で作られていることがうかがえます。
天守内部に使われていた釘隠し。くり抜きの穴はどう見ても ハート型ですが、あの時代に既に伝わっていたのでしょうか?
現在では高層の建物に避雷針は当たり前ですが、それがなかった昔は天守や寺院の高塔の多くが落雷による火災で焼失しています。この鯱のおかげかどうか、ここは火災には遭わずに済みました。
石垣の角の部分はロッククライミングで言うところのカンテ登りの要領で登られてしまう可能性があります。これを防ぐために石落しが設けられ、ここから攻め手に岩石をぶつけます。
西の丸の南端から。
西の丸化粧櫓から。
天守群が聳え立つ姫山を望んで。城は多くの人がかかわり、時間や多額の費用、労力をかけて築き上げてきましたが、こうして眺めると天守が多くの建物群に守られていることが良く判りました。
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