旅のフォトギャラリー ~鞠智城址~ ’09.09.18
鞠智(きくち)城は大和朝廷が唐や新羅の侵攻から太宰府を防衛するために、7世紀後半に築いた後方支援の為の山城です。鞠智城には石垣も一部に使われたようですが、主に土塁によって構成された城で、今回の旅のテーマの石の構築物からは外れますので番外編です。
復元された八角鼓楼。緊急時に太鼓によって通信を行ったと考えられています。八角形の城郭建築物は安土城天守の一部など極めて限られた珍しい形です。
復元された高床倉。後方支援基地なので大量の穀物を蓄える必要がありました。城内からこのような建物跡が多数発見されており、備蓄用の倉が多数建てられていたと考えられます。藁屋根にネットがかかっているのは防鳥のためです。
復元された兵舎。防人達が寝泊まりしたものです。
池の尾門の礎石。鞠智城では三つの門跡が確認されています。石に開けられた穴は門の開閉の際の軸受けとなったものです。
池の尾門の復元模型。土塁の防衛線の上に櫓を置き、その下に片軸の門を配置しています。
深迫門の発掘現場。手前の覆いが架かっているのが礎石です。トレンチを見ても門の配置は全く判りませんでしたが、おそらく池の尾門と同様の構えだと思われます。
城内から見た堀切門跡。土の部分が門のあった所で、後方の森は土塁によって築かれた防護壁です。
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