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2010年6月21日 (月)

専守防衛について その1

先日日米豪の(海軍)共同訓練について発表がありました。本来なら日米豪海軍合同軍事演習とでも呼ぶべきなのでしょうが、我が国は「軍」を持っていない事になっていますので、政治的配慮からこのような言い方になっているのだと思いますが、どうも不自然な感じが否めません。我が国ではずっとタブーとされてきたこの問題にもどこかで手を付ける必要があると思いこのことについて考えてみたいと思います。

我が国は憲法9条によって戦力と交戦権の放棄を明らかにしています。これは当時の米国がドイツを弱体化するために軍の解体を行ったのと同様の占領政策ですが、朝鮮戦争によって米軍が手薄となると、今度は米国の都合によって警察予備隊と名前を変えた防衛力を持つことになりました。
そもそも9条については当時の日本共産党でさえも、一切の戦力を放棄してしまっては国家の独立を維持出来ないとして反対したくらい問題を含んでいたのですが、米国占領下で異論の声が上げにくい状況であったことや太平洋戦争の惨禍の反省から成立し、以後他の条文同様一切改正されることなく今日に至っています。

しかし、法律との整合性を取らなければならない政府の立場は苦しく、9条をめぐる解釈をその都度変えて行くことになりました。

「いかなる形でも自衛権など認めない方がよい」としていた吉田首相も1950年には「警察予備隊の目的はまったく治安維持にある。・・・したがってそれは軍隊ではない」と微妙に立場を変え、さらに52年には「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えることをいう。戦力に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛のように供することは違憲ではない」と実力などと苦しい用語を駆使して言いつくろうことになりました。

54年には鳩山首相(由紀夫氏のグランパです)が「9条は、わが国が自衛権を持つことを認めている。自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、なんら憲法に違反するものではない」とほぼ今日の見解に近い解釈となりました。

私は自衛隊を肯定する立場で以前にも書いたのですが、9条をどう読んでも歴代政府の解釈には首を傾げてしまいます。国民の安全を守るために侵略に対抗し得る十分な戦力を持つことは当然であり、「実力」や「実力部隊」「自衛隊」などと言葉でごまかすことを止めて基本的権利として憲法に明記すべきと考えます。

ソマリア沖の海賊問題では、自衛隊の存在を否定する思想を持つ団体が運行主体の船舶が自衛隊が派遣した護衛艦の護衛を受けて航行したように、武力を備えた悪意の集団に対してはそれ相応の装備や部隊がなければ生存さえ脅かされてしまいます。自衛のための戦力を持つことは現在でも当然かつ必要なことなのです。

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