硫黄島からのたより
昨日、とある人から、とある物を頂きました。とある物は、とある人が、また別のとある人からお土産として頂いたもののおすそ分けです。
とある物はこちら↓ <写真をクリックすると拡大します。>
硫黄島は東京の南、約1200Kmにある周囲が約22Kmの第二次大戦の激戦地で、日米双方で2万7千人近くの兵士が戦死しています。2006年公開の映画「硫黄島からの手紙」で改めてその激烈な戦いの模様が紹介されましたが、米国は多くの将兵を失った激戦の証として強襲揚陸艦にこの島の名前「Iwo Jima」(1993年退役済み)と名付けています。
硫黄島は「いおうじま」「いおうとう」と二つの名前で呼ばれてきました。戦前この島には民間人が住んでおり、「いおうとう」と呼んでいました。しかし何故か明治時代に作られた海図では「Iwo Jima」とされており、これを入手した米軍は以後、「Iwo Jima」を使っています。
硫黄島は米軍の占領を経て1968年に日本側に返還され東京都小笠原村に編入され、航空自衛隊の基地が置かれ、民間人の立ち入りは厳しく制限されており旧島民の帰島は現在もかなえられていません。つまりこのお土産は限られた人間しか買うことが出来ない貴重品なのです。
1982年に小笠原村が東京都に呼称を「いおうじま」と伝えてしまったことから海図や地図、マスコミでの呼称もずっと「いおうじま」とされてきました。その後旧島民やその子孫から読み方を「いおうとう」に戻してほしいとの要望が強まり、「硫黄島からの手紙」公開の頃には国内ではほぼ「いおうとう」が定着しました。
米国の呼称も元は我が国の海図表記によるものだったのですが、その地で多くの血が流れたこともあって、アメリカ退役軍人会が「Iwo Jima」の名前の変更に反対したことからそのままとなっており、映画「硫黄島からの手紙」の硫黄島は「いおうじま」です。
その後2007年に海図、地図表記も「いおうとう」に改められ、現在の我が国での正式な呼称は「いおうとう」になっています。
ところで、バタークッキー包装紙の右上を良く見て下さい。今までの話と矛盾するのですが、「IOUJIMA AIR STATION」となっています。これは極めてややこしい話なのですが、硫黄島航空基地の呼称は「いおうとうこうくうきち」ですが、英語表記は「JMSDF Iwojima Air Base」となっているからです。おそらく当時の日米関係に配慮し、「Iwoto」としなかったのではないかと思われます。
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