青い鳥は見つけられたのか
昨日の続きです。経済の発展に伴い、我が国は表面的には随分と豊かになりました。家庭には液晶テレビがそろい、多くの人が飢えをしのぐためでなく健康を考えて食事をするようになりました。その結果、過去に例を見ない長寿社会となりましたが、多くの人が自宅以外で最後の時を迎えるようにもなりました。また自殺者も年を追うごとに増加し、特定の年齢に限られず毎年3万人が自ら命を絶っています。
問題になっている高齢者の所在不明もその背景に希薄となった家族関係があると言われています。一生懸命働き、豊かな暮らしを夢見て老後を迎えたら、そこには絶望の暮らしが待っているのでは人生の価値さえ失われかねません。
菅首相は就任会見で「最小不幸社会」の実現を表明しました。聞き慣れない言葉でしたが、どうやら不幸でなければそれはすなわち幸福だろうと言う論法のようです。しかし、果たしてそうでしょうか?人それぞれに感じ方は違うでしょうが、不幸でない、あるいは最小の不幸であることはそれ以外の何物でもありません。つまり当たり前の話ですが、人は自分で幸福であると感じなければ幸福にはなれないのです。
本来、幸福は他人から与えてもらうものではなく、自身でつかみとるもの、築き上げるものなのですが、それは高収入や電化製品に溢れた住まいだけでは実現できません。物心両面と言う言葉がありますが、仮にどんなに多くの物に囲まれたとしても、精神的に満たされなければ十分とは言えない事を指した表現だと思います。豊かで孤独な生活よりも、貧しくとも、家族全員で希望を持って明日を迎えられる暮らしの方がどれだけ生きがいを感じられるか分かりません。
私なら誰にも看取られずに札束に埋もれて息を引き取る人生よりも、明日の米を心配しながらも多くの人と関わり合って生きる暮らしの方を選びたいと思っています。勿論、どちらを幸せと感じるかは貴方自身が決めることではあるのですが・・・・・。
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コメント
コメント欄に失礼します。
以前教えていただいたアドレスにメールを送らせていただきました。
ご一読いただければ幸いです。
投稿: zero | 2010年8月 6日 (金) 09時06分
zeroさん、メール拝読、返信致しました。
投稿: 雨辰 | 2010年8月 6日 (金) 17時12分