浜松城天守門が復元へ
浜松城は存亡をかけて武田氏と攻防を繰り広げた、若き日の徳川家康の居城として知られていますが、現在では鉄筋コンクリート製の復興天守しか現存せず、野面積みの石垣だけが残されています。最近各地で木造建築による城郭の復元が盛んに行われるようになりましたが、浜松市も発掘調査によって遺構が確認された天守門と富士見櫓について復元させる意向を表明していました。
天守門跡から見上げる復興天守。残念ながら資料が残っていないので当時どのような天守が建てられたのか知る由もありませんが、家康の後に城主となった堀尾吉晴が築いた松江城の元になったのではないかと勝手に推測しています。
天守台から本丸方面を見て。
2009年の天守門の発掘調査の様子。礎石の他に排水溝と見られる瓦敷きが見つかりました。
発掘時の遺構の写真。発掘調査発表会での展示パネルを撮影したものです。
浜松市は12日の市議会建設委員会で、天守門については2011年度設計着手、13年度までに整備、富士見櫓は16年度に着手し20年度までに整備する方針を示しました。文化庁は最近では国の指定を受けた城跡について、史実に基づかない再建は認めない方針のようですが、絵図などの資料の乏しい浜松城の場合はどうしても推測に寄らざるを得ないのではないかと思われます。
再建された臼杵城の大門です。浜松城の天守門は幅が12mだったことが分かっていますが、安政年間に描かれた略絵図から見ておそらくこのような築様式ではなかったかと思われます。築城後の早い時期に天守が消失してしまった後は高くそびえる天守門が城のシンボルとして代用されたと言うことですからもう少し装飾性があったのかも知れません。
工事中は城内の探訪も一部制約されると思われますが、一日も早く完成した大手門を見たいものです。
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