糾弾よりも創造を
前原外相が献金問題の責任を取って辞任しました。個人的な感想ですが、4年分20万円の献金で国会議員が思想信条を売り渡すとはとても思えません。語弊があるかも知れませんが、この程度で大臣の職を辞していれば、ただでさえ大臣の重さが内外から問われている状況を悪化させるだけではないでしょうか。
自民党は与党時代には野党は追求ばかりで建設的な具申をしていないと批判していましたが、現在はどうでしょうか?やはり同じように追求ばかりで、建設的な提言をするのをあまり聞いたことはないような気がします。尖閣問題で海上保安庁の後押しをしなければならない時に、保安官のビデオ問題で所管する馬淵国交大臣を辞任させ、今回は同様に外相に辞任を迫りました。自民党的には与党の失点は大きなポイントゲットかも知れませんが、日本国にとっては大きな痛手です。これでは中国が喜ぶだけで、外交の独自性確保どころの話ではありません。
また京大の入試におけるカンニング問題で、脳科学者の茂木氏が京大の責任を痛烈に批判しています。勿論カンニングは許されるものではありませんが、様々な情報によれば京大における試験監督はいい加減で、容疑者の少年によれば監督官は自席に回ってくることはなかったそうです。もしそうであれば、尻ポケットに財布を突っ込んでわざわざ人混みの中をうろついてスリの被害を訴えるようなもので、容疑者をその気にさせてしまうような管理体制についての反省の弁はないままに、容疑者の行為だけを責めるのは如何なものかと思います。
他人を批判するのは容易いことです。でも、どうすれば良かったのか、良いのかを的確にアドバイスするのはとても難しいことです。文句を言うことは構わないのですが、それに加えてあるべき姿を付け加えることを忘れるべきではないと考えます。
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