掛川城に初登城
掛川城は、この地方を治めた徳川家康が江戸に移った後に城主となった山内一豊が天守を築いた城として知られており、後に移った高知城のモデルになったと言われています。天守その他の遺構は安政の大地震で倒壊してしまいましたが、平成6年木造の天守が再建されました。
注記:安政東大地震は嘉永7年末(1854年12月23日)に発生していますが、その後安政に改元されたことから安政東大地震と呼ばれています。掛川市では嘉永説をとっています。
城の南側を流れる逆川の南にある大手門。近くに大手門駐車場(30分100円)があり、そこに駐車してお城に向かいました。
今回久々に一眼レフを持ち出しましたが、最近はコンデジばかり使っていて、実に半年ぶりに触ったので操作方法をすっかり忘れてしまっていました。
再建された四足門から見た天守。現存する高知城天守を参考に漆喰の白壁がきれいですが、高知城天守そのものが1727年に焼失し、1748年に再建されており築城当初の外観か疑義があることや桃山期に築城された松本城や松江城などこの時期に築城された多くの城が下見板張りであること、掛川城伝来絵図(遠江国掛川城地震之節損所之覚図など)でも同様となっていることからこの外観に異論を唱える声があるようです。
二の丸御殿から見た天守。掛川城は御殿が完全な形で残された大変貴重なお城です。建物内は各部屋に入って見学が出来、武具や写真などが多数展示されています。
忍者姿のガイドさん達とパチリ。館内の案内を丁寧に ガイドしてくれます。ワンコは入館できませんが、周囲への立ち入りはOKです。
本丸から天守台へは急な石段を上ります。今日はさわやかな青空が広がって、白亜の城を引き立ててくれていました。
天守に聳える見事な鯱。近色は大分あせてしまいましたが、城の守護神としてにらみを利かせていました。
二の丸から見た天守台全景。画面には入っていませんが、左手奥に太鼓櫓 が残っています。今回初めて訪れたため、ビューポイントが絞り切れず、散漫な写真ばかりになってしまいましたので、季節を改めて是非再訪したいと思います。
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