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2012年2月 4日 (土)

浜松城入場者が増加

浜松城は今川氏の人質から脱した徳川家康が遠江支配の拠点とし、駿府に移るまでの16年間在城した戦国の城で、その後家康が天下人となったことから出世城と呼ばれています。また、NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」で一躍その存在がクローズアップされた徳川2代将軍、秀忠が生まれた城としても知られています。その浜松城の昨年1月から12月までの天守への入場者数が16万3500人と過去最高であったことが明らかになりました。これまでの最高は2009年の14万3200人でしたので、これよりも2万人以上多い来場者となった訳で、大河ドラマ効果の賜物と言えるのではないでしょうか。

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そんなニュースに水を差すようで申し訳ないのですが、写真の現在の天守に物言いです。浜松城は明治初期に廃城になるまで、浜松藩主の居城として機能していましたが、天守は築城から早い段階で失われていました。戦後市民の浄財により、現在のコンクリート製の天守が建てられ現在に至っていますが、どう見ても土台の石垣部分とマッチしていません。国宝の彦根城が大津城から移築された際に本来よりも階数を減らされてバランスの悪い外観になったように、史実に基ずかない上に高さが低すぎ、そもそも大きさが石垣部分よりも二回りくらい小さくなっています。天守についてはほとんど記録が残っていないようですから、仕方がない面もあるのですが、あまりに現存する石垣との乖離が酷過ぎます。また写真右側の石垣が出っ張って見える部分は本来天守入り口となる付櫓(つけやぐら)ですが、これも全く無視されています。

天守台には近く天守門が再建される予定となっていますが、そうなると余計天守の正当性が問題となります。残された石垣にできるだけ忠実な姿の天守が再建されることが望ましいことは言うまでもありません。遠方からの来場者に現在の天守が家康が君臨した浜松城のそれだと思われないよう、何らかの表示をするとともに、より石垣に沿った規模の天守の建造を望みたいと思います。

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