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2012年5月10日 (木)

東北旅行・秋田編

角館からは秋田市に移動しました。藩政時代、秋田市には久保田藩が置かれ、城も久保田城と呼ばれていましたが、秋田城と呼ばれることも多かったそうです。久保田藩は明治になって秋田市になり、現在に至っています。残念なことに明治期に大火で中心部の大半を焼失しており、伝統ある建物を見かけることはほとんどありません。江戸時代も久保田城か秋田城かとややこしかったのですが、現在は城跡一帯は千秋公園と呼ばれているので、遠方からの来訪者には更に分かり辛くなっています。

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外堀内側に立つ久保田城の碑です。

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内堀の名残りですが、桜と共に緑がきれいです。日本海側の城は石垣を持たない城が一般的です。上越の高田城も広大な城でしたが、石垣はなく土塁を築いて防御を敷いていました。

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復元された大手門。これからはだんだんと木々の葉が茂るので、門の姿を隠してしまいます。

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大手門の内側、本丸です。普通は敵の進入を防ぐため、進路を曲げる虎口を設けるのですが、遮るものは何もありません。

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本丸には城主の居住する館があり、内庭が設けられていました。庭園の池にはびっしりと桜の花びらが浮かんでいました。

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久保田城には天守がなく、代わりに御隅櫓(ごすみやぐら)がその代用を果たしました。こうして見ると天守に見えなくもありません。

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別アングルで。江戸時代、幕府は城の修理を厳しく管理していました。天守を焼失しても再建はまず認められず、代わりに御三階櫓と呼ばれる櫓を天守の代わりとしていました。久保田城は江戸時代に入っての築城と言う事もあって最初から天守を持っていませんでしたので、この櫓は別格として扱われたのだと思われます。

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