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2012年8月19日 (日)

信州城めぐり、~松代城編その1~

松代と聞いてまず思い浮かぶのは太平洋戦争末期に軍部が象山地下に築いた大本営トンネルですが、私の世代ではもう一つ松代群発地震です。1965年8月から約5年半に亘って6万3000回程の有感地震が頻発し、当時は良くニュースで取り上げられていましたが、松代の地名はその時に覚えました。
松代城は上杉謙信への備えとして武田信玄によって築城された海津城が、時を経て1622年に上田城から転封となった真田信之の居城となり、1711年に幕府の命によって松代城と改名されたものです。

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二の丸南門から見た本丸太鼓門です。海津城は明治に廃城となって、城域は大きく破壊されてしまいました。石垣は崩され、堀も埋め立てられてしまいましたが、2004年大規模な復元工事によって現在の姿に甦っています。

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復元された太鼓門と手前の高麗門。石垣が後ろのものより白っぽく見えるのは新しく積み直されたからです。なお、当時の橋は「引き橋」と言って有事の際は本丸側に引き込む構造となっていました。

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太鼓門の虎口。進入した敵を周囲から攻撃できる構造となっています。

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再現された太鼓門。文化庁は復元建築は原則として木造建築にしか認めない方針のようで、最近復元された建造物は全て木造となっています。

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本丸北西部に築かれた天守台です。真田氏の時代は二重櫓が天守の代わりをしたようですが、それ以前の田丸直昌、森忠政の時代には石垣の規模から天守が築かれていたのではないかと考えられています。

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本丸の搦め手となる北不開門で、外側に太鼓門同様に高麗門が設けられています。
松代城の石垣は総じて低めとなっていますが、元々千曲川の河原に建てられており地盤を考慮したものと思われます。

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二の丸北西の土塁に築かれたトンネル状の埋門。この土塁も復元されたもののようです。松代城は千曲川の地理的な要因があったためか北側の防備が薄くなっており、有事の際には埋めて通行不能に出来る様になっていました。

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