信州城めぐり、~上田城編その1~
今 年の夏休みは南アルプスの3000m峰を目指す予定でしたが、天候が不順なため急遽信州の城めぐりと計画変更です。信州は武田氏の本拠地だったこともあり、幾多の合戦が行われ、多くの城が築かれました。中でも真田氏の本拠地だった上田城は少数の兵で徳川の大軍を2度も撃退し、家康に苦汁をなめさせた天下の堅城との呼び声が高く、かねてより行ってみたい城の一つでした。
二の丸東虎口。二の丸側から二の丸橋方面を見たところです。現在は自由に通行できますが、本来は桝形と言って敵が直進できないように必ず直角に曲げられていました。上田城は関ヶ原の合戦の後に家康によって徹底的に破壊されたため、当時の構造が良く判っていません。その後真田氏に代わって城主となった仙石忠政によって再築されかけましたが、2年後に忠政が急死してしまい再建の城は完成することはありませんでした。
上田市では城の整備に力を入れており現在二の丸にある市民会館を移転して、真田時代にあったとされる武者溜まり、三十間堀などを復元する予定のようです。
二の丸の東側には堀が設けられており、二の丸橋の北側が水堀で南側が空堀と言われていますが良く判りません。現在はどちらもケヤキ並木の遊歩道となっています。
本丸東虎口を守る南櫓と本丸御門。どちらも再建されたものです。本丸御門右側の石垣には有名な真田石が組み込まれています。右手には南櫓と対を成す北櫓(東櫓と呼ぶ説もあり、上田市では呼称がはっきりしないと現在のところ番号で表示しています)が建っています。
本丸御門の本丸側。桝形になっていないのは後世になって手が入ったためだと思われます。
櫓に設けられた石落とし。但し、なぜこの場所なのか疑問です。普通は石垣の角部分に設けるのが一般的です。
その2に続く。
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