石垣が語るもの
GWを利用して東北地方の城めぐりをして来ましたが、その中で気になったことを書いてみます。先の地震では石垣の崩れてしまった城跡もありましたが、山形城はそのようなこともなく静かな情景を楽しむことができました。
在来工法によって壮麗な姿で復元された山形城東大手門。ところがよく見ると少々気になるところが・・・。
それはこちらです。石の表面に何やら妙な模様が見られます。良く言われる鏨(たがね)跡とは違うようです。石の向きも横向きが多いような気がします。
地表付近の石垣です。上の写真に比べて黒ずんで苔生しており、石の向きもまちまちです。勿論妙な模様はなく、落ち着いた感じです。
山形城西不明門の見事な高石垣。係りの人に聞いたところでは、築城以来後世の人の手は入っていないそうです。山形城は最上義光(よしあき)が築城しましたが、義光は秀吉の朝鮮出兵に動員され、名護屋城に滞在した経験があります。おそらくは、そこで秀吉の築城術や石垣の造営法を詳しく学んだのではないでしょうか。何の下地もなかったら、これだけの石垣は築けなかったと思われます。
東大手門の修復には破壊されてしまった石垣の積み直しが行われましたが、大手門が立派なだけに新たな石垣の積み方が臥龍点睛を欠いているような気がして残念です。
たかが石垣ですが、されど石垣でもあり、実に多くのことを語ってくれているような気がします。
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