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2014年7月14日 (月)

家康における静岡と浜松

静岡市と浜松市は同じ静岡県内にありながら、ほぼ同じ人口を擁し県の中央と西部に位置していることもあってライバルの関係にあると言われています。とは言っても両市は歴史や産業などそれぞれ別々の発展をしてきたのですが、一つの共通点を持っています。それは徳川家康が統治した歴史があると言うことです。

家康は元々三河、岡崎城で生まれましたが、様々な事情により幼少期から織田家や今川氏にの人質となり苦難の生活を強いられました。17歳になった時、今川義元が信長によって討たれ、やっと自由の身になりました。以後遠州に進出し、浜松城を築城し、やがて今川氏の拠点であった駿河を手中に収め、秀吉の意向もあって浜松を離れて駿府に城を構えました。

その後は更に江戸に移り、江戸幕府を創設し関ヶ原の合戦へと進むのですが、何故か1605年に秀忠に将軍職を譲り静岡に隠居して大御所として君臨し、1616年に駿府城で逝去しました。俗に鯛の天ぷらに当ったとも言われていますが、病状から悪性の病にかかっていたのではないかとの説もあります。
静岡市では記念事業として来年9月に「駿府天下泰平まつり」を開催すると発表していますが、浜松市では今のところイベントの企画はないようです。

天下人となった家康ですが、幼少期に辛い思いをした駿府を何故終焉の地に選んだのだろうか、との観点から見てみると色々と興味が湧いてきます。一方の浜松も天下取りの基礎を築いた城でもありますが、三方原の合戦で生涯でも最大の負け戦を経験し、正室「築山殿」を手に掛け、長男信康を切腹させるなど生涯の汚点とも言える過酷な経験をしています。1586年、45歳で浜松の地を離れて以来、家康と浜松が歴史に登場することはありませんでした。

静岡と浜松、家康はどんな思いで暮らしてきたのか思いを馳せると限りなく想像が膨らみます。

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復興した浜松城天守です。

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