旅の余韻
城跡を巡る旅を思いついたのはいつの頃からだったのか、しかとは思い出せませんが、6年前に勤めを辞めた時、修理直前の姫路城、臼杵城、岡城、熊本城を訪ねました。これがきっかけとなり、若い頃訪ねた備中松山城、松江城、津和野城、萩城などをもう一度訪ねたいと思うようになり、今回の旅となりました。
想い出が詰まった16日間に亘る旅が終わりましたが、正直なところ高揚した気持ちが未だ落ち着かない状態が続いています。
我が国には多くの城跡が残っていますが、明治に入り天守など多くの建物が壊されてしまいました。これは、城が幕藩体制の象徴であると共に、軍事拠点として新政府に反旗を翻す勢力に使われるのを恐れたためではないかと思われます。
そのような中で姫路城は多くの城門や櫓が残されており、城郭構造を知る上で大変貴重な城と言えるのではないでしょうか。
姫路城は城攻めには会っていませんが、このような巨大な門を打ち破るのは実際のところ、かなり困難であったと思われます。戊辰戦争の会津若松城は多くの砲弾を撃ち込まれましたが、開城であって落城はしませんでした。
備中松山城天守。この天守が残ったのは、険しい山上に築かれたので機械力が無かった当時、誰も手を付けなかったことによるものだそうです。
月山富田城の山中御殿跡。浜松城主からこの城の城主となった元豊臣家重臣の堀尾吉晴は、この城を手放して新たに松江に松江城を築きました。
浜松城の大改修を行い、難航不落の松江城を築いた吉晴は、何故この城を見限ったのか、石垣は黙して何も語ってくれません。
| 固定リンク
コメント
雨辰さん、書き込みが遅くなりました。
長旅を無事に終わられて何よりです。
2週間以上も旅をすると社会復帰も難しそうですね。
私の一番の長旅は、大学の夏休みのときにバイクで、本州縦断、九州一周、四国半周しましたが、そのときが3週間くらいの旅だったかな?
今はとても時間も体力・気力もありませんが。
今回も、本名を名乗ることもせず、失礼しました(笑)。
現代ではこんな付き合い方もありでしょうね。
投稿: 山奥 | 2015年6月13日 (土) 15時56分
山奥さん、コメントありがとうございます。
念願の長期旅行が終わり、祭りの後の空しさと今後の身の振り方の狭間で揺れています。
現代は情報があふれ、ネットで様々なことを知ることができますが、やはり百聞は一見に如かずで、現場に立つことが大切なことを改めて認識しました。また、感受性は年々鈍くなりますので、やはり1歳でも早く思う所を訪れるのが良いように思います。公私共に一番大変な時期だと思いますが、忙中閑ありの心構えで閑を楽しんで下さい。
私たちの関係において本名はあまり意味をなさないと思いますので今のままで良いのではないでしょうか。ネットで探し回れば知り得ることも可能かも知れませんが、それで得られるものは何もないと思っています。
いつか3回目の対面ができることを楽しみにしています。
投稿: 雨辰 | 2015年6月13日 (土) 17時19分