浜松城発掘調査展示会
浜松城は徳川家康が築いた城で17年間居城としていましたが、秀吉によって駿府に遠ざけられ、秀吉家臣の堀尾吉晴によって大規模な改修が行われ、今日残る野面積みの石垣の城へと変貌を遂げました。天守台には戦後になって鉄筋コンクリートの模擬天守が建てられており、多くの観光客は家康が建てた天守として認識しているようですが、家康の時代には天守は存在していなかったと言うのが定説になりつつあります。
浜松城は明治期に廃城となった後、城跡は役所や小学校、住宅に変貌し、石垣が残存する部分を除いて、かつての城の範囲は明確ではなくなってしまいました。ところが昨年になって、かつて税務署として使われていた跡地から素掘りの堀が発掘され、出土品などから、家康時代の遺構と判定されました。その後、発掘跡は埋め戻されていましたが、家康没後400年の記念事業として改めて現地で、展示会が開かれることになりましたので、早速行ってきました。
発掘現場に建てられた仮設の展示館。堀の断面をはぎ取ってパネルにした地層の現物が展示されています。正面のテントは掘り起こされた堀の断面が観察できるようにしてあります。
展示館に展示されている堀の実物断面パネル。堆積物で徐々に埋まった後、人為的に埋められた様子が判ります。
見学用に再度掘り起こされた実際の堀の断面。展示会終了後は保存方法が決まるまで、再び埋め戻されるようです。
堀の南端付近から見た本丸石垣の発掘現場。この辺りに多聞櫓がありました。
現在天守曲輪南側と西側で発掘調査を行なっています。これにより天守曲輪の外側の区域の構造を明らかにするためのものと思われます。今後は市役所駐車場に削られてしまっている本丸東側の発掘を行なって本丸の位置を特定し、絵図に残っている鉄門や裏門の復元を期待したいと思います。
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