浜松城二の丸御殿発掘調査
浜松城は明治の廃城後、天守曲輪と本丸部分をのぞいて大半が破壊され公用地として利用されて来ましたが、藩政時代の文化財についてあまり考慮が払われなかった結果、この過程で貴重な遺構は全て失われてしまいました。現在は二の丸の北半分が元城(もとしろ)小学校、南半分が市役所、中区役所の庁舎となって今日ではその姿を偲ぶものは何も残っていません。
かつては市の中心地として発展したこの地区ですが、ドーナッツ化が進み、2年後には小学校も統廃合で廃校になることが決まっています。そうなれば、いずれ発掘調査が行われるのではないかと思っていたところ、昨日の市議会で、2017年に二の丸御殿の発掘調査が行われることが明らかになりました。
二の丸御殿は徳川二代目将軍の秀忠の生誕の地で、その後は政務を担う場所となった所です。図面などの資料が乏しい浜松城ですが、二の丸御殿については詳細な図面が残されており、将来の復元について夢が膨らみます。城郭内の御殿については熊本城や名古屋城で本丸御殿が木造工法で復元されており、浜松城もこれに続くことが期待されます。
浜松城二の丸は本丸の東側の平坦な場所に位置し、役所としての機能を果たしていました。
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