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2015年11月30日 (月)

中谷防衛相が弾道ミサイルの多層防御検討を表明

今年の5月、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の発射実験に成功したと内外に公表した北朝鮮が、28日に日本海での発射実験を行ないましたが、実験には失敗した模様です。北朝鮮はソ連からSLBMであるR-27を入手し、これをコピーしたミサイルを保有しているものと考えられていますが、海中からの発射能力を獲得したことについては疑問視されていました。今回の実験失敗で、運用開始までにはまだまだ時間がかかることを実証してしまったようです。

これより先の今月24日にハワイを訪問中の中谷防衛相が米軍施設を見学していますが、その後の記者会見でミサイル防衛に触れ、THAAD(サード、終末高々度地域防衛)ミサイル及びイージス・ショアミサイルの導入を検討することを表明しました。

現在我が国はイージス艦に搭載したSM-3でミッドコースを飛行中に迎撃し、万一迎撃に失敗した場合は地上に配備したPAC-3で迎撃する2段構えを取っていますが、問題はPAC-3の有効射程が20Km,最大射高が15Kmと極めて短いことです。これは開発の経緯から、既にあったPAC-2からスタートしたPAC-3が先行したためで、当時は他に手段がありませんでした。現在SM-3はブロック1A、Bが実戦配備され、迎撃実験ではほぼ100%近い確率で模擬標的の迎撃に成功しており、発展型のブロック2Aの開発も目途がついています。

しかし、今年の10月21日に米ミサイル防衛局がウェーク島で行なった迎撃実験では、SRBM(短距離弾道ミサイル)とSRBM(準中距離弾道ミサイル)の同時発射に対し、SRBMを地上のTHAADで、MRBMをイージス艦のSM-3で迎撃する予定でしたがSM-3に問題が起きて迎撃に失敗、最終的にTHAADで迎撃に成功しています。つまり、もしこれが本番だった場合、日本上空までわずか15Kmの地点まで迎撃手段がないことになり、多層防御の必要性が改めて認識されることとなりました。

THAADは終末防衛用ですが、射程200Kmと長く、PAC-3と同様に大気圏外の高度40~150Kmでの迎撃が可能ですから、高度500KmでSM-3、高度150KmでTHAAD、高度15KmでPAC-3と3段構えの防御が可能となります。また、イージス・ショアはSM-3の陸上版と言えるものですが、海上と違いメンテナンスや補充が自由に行なえることと、ミサイル自体も高度1000Kmでの迎撃が可能ではないかと推測されています。勿論ミサイル本体だけでなく、レーダーや制御システムなどに多額な費用が必要です。財政がひっ迫する中、どこまで安全保障に費用を割けるか、論議を呼ぶところですが、周辺に弾道ミサイル配備国がある以上、導入は不可避ではないでしょうか。

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PAC-3の発射機とPAC-3の模型です。

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2015年11月28日 (土)

紅葉を見に

今年の紅葉はパッとしないとの評判ですが、当地の最低気温が10℃を下回るようになったので、紅葉を見に里山に行ってみました。

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残念ながら色付いた木々を見ることはできません。それでも山に入ると色付いた葉を見つけることができました。

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どうやら山芋の葉のようですが、こんなに赤いのは初めて見ました。

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ありふれた木々の葉ですが、逆光に透かして見ると黄金色の輝きです。

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虫に食べられても色付くまで木にとどまった葉っぱたちの晴れ姿です。

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期待した錦糸の山を見ることはできませんでしたが、緑の中でそれぞれの存在感を誇るかのように色付いた木々の紅葉を楽しむことができました。

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寒さが身に染みる

暖冬でスキー場がオープンできなかった北海道が一転して大雪に見舞われましたが、当地浜松も今シーズン一番の寒気に見舞われています。暖かい日が続いていた影響で今年の紅葉は遅れ気味との情報でしたが、一気に寒さが押し寄せた感じです。最低気温が7℃と一気に10℃を下回り、朝車のドアを開けると冷蔵庫の中に入ったような冷気でした。

ワンコの散歩でも、これまでは素手で出かけていましたが、昨日から手袋を着用です。いよいよ冬がそこまで近づいたようです。

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地ビールレストランのクリスマスイルミネーションです。今年もそんな季節になったことを実感させてくれましたが、昨夜は夜風が身に沁みました。

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2015年11月27日 (金)

自称祈祷師が殺人罪で逮捕

何とも痛ましい事件です。インスリンの注射以外、対処法の無いⅠ型糖尿病の7歳の少年に対し、インスリン注射を止めて祈祷で病気を治すと両親からおよそ200万円を受け取っていた自称祈祷師の男が逮捕されました。インスリンの注射を止められた7歳の少年は直後に重体となり、病院に搬送されましたが、昏睡状態のまま死亡しました。

国産の探査機が小惑星まで7年をかけて宇宙空間を往復し、岩石のサンプルを持ち帰ることを可能とする高度の科学技術が発展した現代で、信じられない非科学的な事件です。逮捕された容疑者は、少年に死神が取り付いていると両親を騙したようですが、我が子を救いたい一心の親心を弄ぶ、悪魔のような所業です。自身を龍神と称していたようですが、全く呆れた話で糖尿病が祈祷の類で治るのであれば、木の葉が沈んで石が流れます。

少年は最初にインスリンを中止した際に重体となり、病院に搬送されて入院していましたが、もしこの時に医師が適切な指導をしていれば、こんな馬鹿げたイカサマで命を落とすことはなかったと思うと残念でなりません。

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2015年11月26日 (木)

伝説の女優原節子が雲の彼方に

東京物語など小津安二郎監督の主要作品に出演し、永遠の処女と言われながら、小津監督の死を契機に以後二度と公的な場に姿を見せなかった原節子さんが9月に95歳で死去していたことが明らかになりました。

私はリアルタイムでは小津監督も原節子も知りませんでしたが、26歳の時にフランスで東京物語のポスターを見て小津安二郎の名前を初めて知りました。山登りに夢中になっていた当時の私には、中高年の心情、機微を描く小津作品を理解することはできませんでしたが、小津作品を通じて女優原節子を知りました。小津作品はカメラを低い位置に据え、固定したまま登場人物の会話を長回しするスタイルで有名ですが、そのようなカット割りの中で自分の存在感を十分主張していたように思います。

小津監督はその作品の大半がモノクロームですが、1958年からカラー作品に移行します。原節子は1960年の秋日和、1961年の小早川家の秋で母親役で登場していますが、何故か遺作となった1962年の秋刀魚の味には出演していません。小津監督は原の演技を高く評価していたと言うことですが、一世を風靡した原が、カラーの画面で母親役を演じることに違和感を感じたのかも知れません。

小津監督は自身の60歳の誕生日であった1963年12月12日にこの世を去りますが、原節子さんはその通夜に参列したのを最後に公的な場から遠ざかってしまいました。リアルタイムでの姿を知らない私にとっては文字通りの伝説の人であった訳ですが、逝去により永遠に伝説となってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

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2015年11月25日 (水)

H-IIAロケット29号機打ち上げ成功!

昨日午後4時前に、種子島宇宙センターから打ち上げられたH-IIAロケット29号機は打ち上げからおよそ4時間半後の午後8時17分頃、搭載した衛星を分離して静止軌道へ投入、初の商業衛星の打ち上げは無事成功しました。

今回、搭載衛星の燃料消費を抑えるため初めて2段目エンジン停止後もそのまま飛行を続けるロングコーストを行い、静止軌道近くで再々着火して増速して分離を行ないましたが、いずれも作業は順調に終了しました。この結果を受けてマスコミ各社は商業衛星打ち上げ時代到来と盛んに報道しています。このこと自体は大変喜ばしいことだとは思いますが、少し気になることがあります。

それは、先行するアリアンロケットが赤道に近いギアナの基地から打ち上げることによって、静止衛星の軌道投入時の燃料消費の点で有利であり、北緯30度の種子島から打ち上げるH-IIAが不利なことは当初から判っていた筈なのに、その対応が今になったのは何故かと言うことです。

ロングコーストは、これまで打ち上げ後30分で衛星を分離していたのに比べて、更に4時間と言うこれまでより8倍の時間にわたって飛行を継続します。この間、太陽光をまともに受けて機体温度が上昇し、搭載した液体燃料が蒸発し易くなります。また、静止軌道投入前に増速を行なうため、2段目エンジンの再着火(実際には再々着火)が必要で、いずれもこれまでより高度な技術が必要となります。

しかし、これらは先行するロシアのプロトンロケットは従来から行なってきた方法で、今回H-IIAが初めて行なった訳ではありません。つまり、H-IIAはライバルよりも遅れていたのです。我が国の衛星の打ち上げについては、従来省庁が主管するものばかりでしたので、コストに対する意識よりも、まず成功ありきの姿勢であったのも止むを得ないことだったのかも知れません。しかし、打ち上げ事業が三菱重工に移管されたのが2007年ですからもう

民間衛星打ち上げ需要の開拓も三菱が行なうことになって、受注できない理由の一つが今回の打ち上げ時の衛星搭載燃料の消費の問題です。ネックの一つが解消されたことは歓迎すべきことですが、いささか時間がかかり過ぎたのではないでしょうか。

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2015年11月24日 (火)

ジュビロ磐田が劇的ゴールでJ1復帰

J2のジュビロ磐田は大分トリニータとの最終戦で、後半45分に同点ゴールを決められましたが、直後のロスタイム1分に劇的なゴールを決め、2-1で勝利してJ1への復帰を確定させました。前節勝ち点で並ばれたアビスパ福岡も4-1で勝利していため、自動昇格となる単独2位とはなりませんでしたが、得失点差で勝るジュビロが自動昇格の権利を手にし、昇格を確定したものです。

昨季J1復帰をかけたプレーオフで、終了間際のロスタイムに、攻撃に参加したモンテディオ山形のGKにヘディングによるシュートを決められ、わずかの差で昇格が叶わなかった前歴がありますので、ロスタイムでの得点による勝利に、多くの人が運命の巡り合わせを感じたのではないでしょうか。

J2を2年で卒業することになったジュビロですが、今期J1に昇格した山形はわずか1勝しかできず最下位となって、たった1年でJ2降格となりました。ジュビロは得点王となったジェイの活躍もあって得点こそ優勝した大宮アルディージャと同じ72点でしたが、失点が6点多い43点で上位5チームで最も多い数字となっています。今季は逆転勝利が目立ちましたが、裏返せばそれだけ失点が多かったことを裏付けています。来季は守備面を改善しないとJ1定着は厳しいように思われます。

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2015年11月23日 (月)

馬出についての番外編

またまた城郭の話題で恐縮ですが、諏訪原城で確認した武田流の馬出についてです。諏訪原城は廃城となった後、樹木が生い茂っていましたので、馬出の構造について見易い状況にあるとは言えません。

諏訪原城の後に訪れた小山城も武田軍によって築かれた城ですが、現在では公園として整備されており、三日月堀や馬出の外観が良く判る状態となっていますので、番外編として紹介します。

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中央の紅葉した樹木が立っている所が馬出です右側が一の曲輪(本丸)で赤い橋の下に本来あった土橋が出入り口となっていました。。前面に三日月堀を配していますので、一の曲輪に入るには左右の狭まった通路を通らなければなりません。このため守備側からは横矢で簡単に攻撃することができます。この馬出は二の曲輪にありますので、ここまで敵に侵入されては攻防戦も最終盤ですが、一気に攻め込まれることを防げますので、一定の時間稼ぎをすることが可能です。

小山城は諏訪原城と比較して小さな城ですが、諏訪原城が徳川方に落ちた後も最後まで高天神城への補給路としての役割を果たし続けました。小ぶりな城ですが、武田流の城造りが巧みであったことを雄弁に物語っています。

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諏訪原城探訪 その4

 諏訪原城が予想以上の規模だったので、現地を巡っている内に探求心が刺激されてしまいました。外堀周辺が工事中だったこともあって、公開部分の全てを見ることができませんでしたが、次回の楽しみが残ったと考えれば、これはこれで良かったのかも知れません。

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二の曲輪中馬出の土橋上から見た外堀の北端。この土橋は後世のもので、当時は木製の橋が架けられていたようです。

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二の曲輪北端付近から見た二の曲輪中馬出。堀の深さを見ると、二の曲輪大手馬出よりもはるかに深く、ここが城内への主要な出入り口だったのかも知れません。

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二の曲輪中馬出全景。堀の深さや幅などから、この馬出の重要性が見て取れます。この向こうに二の曲輪北馬出がありますが、工事規制のため立ち寄ることができませんでした。次回訪問時の楽しみとして取って置くことにします。

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最近設置された案内板。この後方に武家屋敷跡や大手北外堀が残されています。こちらも次回の楽しみとなりました。

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案内板に記された諏訪原城の平面図。現在は、堀の両脇に樹木が生い茂った箇所が多く、城の構成が判りにくいので、訪問者にとってこうした資料は大変参考になります。

諏訪原城は、戦国末期の山城として大変貴重な遺構だと思いますので、郷土の文化遺産として島田市だけでなく、もっと静岡県のバックアップがあってもいいのではないかと感じました。

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2015年11月22日 (日)

諏訪原城探訪 その3

武田流築城術で築かれたと言われている諏訪原城ですが、発掘調査の結果、想像以上に徳川の手が入っていたことが明らかになったようです。家忠日記の記述などから、諏訪原城が徳川の手に落ちてから幾たびか改修を行なっていることは記録に残っていましたが、今日残っている遺構の多くに徳川の時代の痕跡が残っているようです。

今年前半、各地の城跡を見て回りましたが、財政基盤の弱い自治体では、城跡の保存整備が思うにまかせないところがあるようでした。諏訪原城の場合はどうなのか、ちょっと気になるところです。

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諏訪原城の本曲輪東側から見た島田市街。当時は大井川が台地末端近くを流れ、天然の要害となっていたようです。

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本曲輪南側の土塁です。城内の平坦部の樹木はかなり伐採されていますが、周辺部はまだ木々が生い茂っていて城郭の輪郭が判りにくくなっています。

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内堀に残っている「カンカン井戸」です。籠城時の非常用として使われたのか、この下方に水の手曲輪があり、普段はそこが水源となっていたようです。

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水の手曲輪への分岐。下草が刈られておらず、草の実が付くのがいやなので訪問は断念しました。草が枯れる時期に再訪したいと思います。

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二の曲輪の北側から南側を見て。中央部分に一段高くなっている所が中仕切り部分です。写真手前右側付近から薬医門の礎石が見つかっています。門の外側は二の曲輪中馬出に続いています。

その4に続きます。

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諏訪原城探訪 その2

諏訪原城に来て戸惑ったことは、案内板に記された曲輪の呼称が新旧によって違っていることです。古い方では本丸、二の丸、三の丸と言った表記ですが、最近のものでは本曲輪、二の曲輪になっています。二の曲輪は中央で仕切られており、仕切り部分で二の丸、三の丸と区分けされていたのですが、新しい表記では特に区分はされていません。このブログでは新しい表記に従っています。

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二の曲輪大手馬出の土橋を渡った二の曲輪内部です。以前は茶畑として利用されていたようで、地形が変えられてしまった可能性があるようですが、山城と思えない、広大と言える広さです。

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外堀に面した部分に幅広の土塁が残っています。

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往時は建物群があったことと思いますが、それも今は昔。彼方に山々を望み、青空に白い雲が浮かんで、一幅の絵のような情景です。

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本曲輪への虎口に続く土橋です。現在は埋め戻されているようですが、虎口からは門の礎石が発見されています。

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本曲輪、二の曲輪の間に築かれた内堀。ここも内側の傾斜が緩くなっています。沢筋を利用したようで緩やかに南に傾斜しています。少し下がった所に石積みの井戸、「カンカン井戸」が残っています。

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文献からか、古い案内板には二層の櫓が築かれていたとなっていますが、未調査なのか新しい案内板には櫓跡についての記載はありません。東側の監視のため、なにがしかの物見の類があったと考えられますので、基礎などが確認されれば是非復元して欲しいものです。

その3に続きます。

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諏訪原城探訪 その1

徳川家康についての記述に諏訪原城が良く出てきます。諏訪原城は武田勝頼が遠州攻略のため、牧之原台地の末端に築いた城ですが、攻防の末に築城から2年で家康の手に落ちます。その後は逆に、武田の手に落ちた田中城攻略や高天神城奪還のために使用されました。いつでも行けるからと、これまで訪れたことがなかったのですが、近年武田流の馬出(うまだし)が注目されるようになったので、馬出が残る城として知られる諏訪原城に意を決して行って来ました。

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諏訪原城は島田市文化課が生い茂った樹木の伐採や遺構の発掘調査を行なっています。近年の発掘で城内の3ヶ所で門の礎石が発見され、形状から薬医門が築かれていたことが判ったようです。その内の一つ、二の曲輪北馬出の薬医門が文化庁によって復元が認められ、2016年に復元工事が行われることになっています。そのための準備工事なのか、一部区域に立ち入り制限が行われていました。

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中央のくぼんだ所が大手南外堀です。その奥の木が生い茂っている所が二の曲輪大手馬出です。大手南外堀右側に通路が造成中でした。

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工事の邪魔にならないように見学路を通って二の曲輪大手馬出に出ました。初めて見る馬出と三日月堀でしたが、思ったよりも浅い堀でした。後で判りましたが、駐車場東側の旧東海道から直接この場所に入れるようになっています。

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二の曲輪東内馬出から見た二の曲輪北馬出。馬出と言うのは外側に張り出した平坦部を三日月型の堀が囲む陣地ですが、全体像が判りますでしょうか?城内に入るのには中央の細い土橋を通らなければなりませんので、防御が大変し易くなります。

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二の曲輪西側の防衛ラインとなる外堀です。大変深い素掘りの堀ですが、当時は水を張った水堀だったとされています。外側の斜面は直角に近いのに対し、内側は緩い斜面となっています。これは崩壊防止だけでなく、堀に入った敵を狙い易くする工夫だったのではないかと思われます。

ココログは、一回に1GBしか写真をUPすることができません。写真掲載の都合で何回かに分けてUPします。 その2に続きます。

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2015年11月21日 (土)

米当局がグローバルホークの日本売却を議会に通知

報道によれば、米国は無人偵察機グローバルホークの日本売却についての手続きを開始した模様です。以下毎日新聞Web版からの引用です。

米国防安全保障協力局(DSCA)は20日、滞空型無人偵察機「グローバルホーク」3機と関連装備などを推計12億ドル(約1480億円)で日本に売却する方針を米議会に通知したと発表した。DSCAは声明で、日本は東アジアや西太平洋地域の平和と安定を確保するうえで米国の重要なパートナーだと指摘。19日付で議会に通知したグローバルホークの売却について、「日本の情報収集・警戒監視・偵察(ISR)能力を著しく高める」と分析し、「日本が地域における脅威を引き続き監視し、抑止していくことが確実にできるようにするため役立つ」と意義を説明した。

3機で12億ドルとは随分と吹っ掛けられたものだと感じましたが、韓国への売却話が4機で12億ドルでしたので、こんなものなのかも知れません。グローバルホークは攻撃能力を持たない偵察専門の無人機で、他の航空機との衝突を回避するために一般の旅客機の航路の上を飛行して、広大な区域を長時間監視することが可能です。効率よく飛ぶために、長大な翼を持っていますが、他の航空機が発するジェット後流を避けるため、運用する基地が限定されます。導入後は米軍の運用実績のある三沢基地に配備されるのではないかと思われます。

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2015年11月20日 (金)

マイナンバー通知書が到着

パリでの惨劇の現場を訪れた父親が、銃撃によるテロを恐れる幼い息子に「私たちには花がある」と語って聞かせた話が話題となっています。犠牲者への鎮魂と言われなき殺戮への無言の抗議、現場に手向けられた花は銃よりもずっと強い力があると語った信念に心から拍手を送ります。

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日毎に季節が深まる中、枯葉が風に舞う光景が見られるようになりましたが、我が家の庭でも水仙の花が咲きました。私たちにも花があります・・・・。

さて、本題です。色々と物議を醸しているマイナンバー制度ですが、個人宅にマイナンバーを通知する通知書の配達が遅れ、まだ全体の25%にしか配達されていないそうです。ニュースなどでトラブルが伝えられている割に、周辺で配達されたと言う話を聞かないので、どうなっているのだろうと思っていたら、昨日我が家にも配達されました。開封してみると、家族の人数分が同封されており、自分のマイナンバーを初めて確認することができました。ついでに家族の分も覗いてみると、意外にも番号は連番ではなく、1桁目からそれぞれの全く関連の無い数字の羅列になっていました。つまり番号に地方や性別などの規則性はなく、私の次の番号の人はどこの地方の人かも全く推測することはできませんでした。

同封のパンフレットにはマイナンバーカードの申請を促す記載がされていましたが、実際の運用はまだなので、どのように利便性が向上するのか全く予測がつきません。とりあえず、通知書は大切に保管するとします。

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2015年11月19日 (木)

MRJに続け!H-IIAロケット29号機が打ち上げ間近

日本の主力ロケットであるH-IIAロケットは世界水準との評価ですが、発射場が種子島にあるため、赤道近くから打ち上げているライバルのアリアンロケットに比べて静止軌道への衛星打ち上げに不利と言われて来ました。これは打ち上げ後に、衛星を遷移軌道と呼ばれる楕円軌道から静止軌道に移行する際に消費する衛星に搭載した燃料の消費が赤道に近い地点から打ち上げた方が少なくて済むためです。

元々打ち上げ費用が外国よりも高いと言われて来ましたが、この静止軌道への投入に伴う燃料消費が運用年数を数年分減らしてしまうことが最大のネックとなり商業衛星の受注では苦戦を強いられ続けて来ました。そこでこれを打開するために、H-IIAロケットの運用方法を見直し、2段目ロケットの再々着火による増速など衛星の搭載燃料の消費を抑える打ち上げ方法を改良したのが「基幹ロケット高度化」プロジェクトです。

今月24日に打ち上げ予定のH-IIAロケット29号機はこの「基幹ロケット高度化」の第一号となります。29号機は初めての民間衛星の打ち上げを受注したもので、カナダTelesat社の通信放送衛星Telstar12VANTAGE 重量4.9tの打ち上げを目指します。観測衛星と違い、静止軌道で長年運用される静止衛星は、長く運用することがコスト削減に直結しますので、これまでのように衛星の燃料を大量に使用しなければ静止軌道に投入できないようでは競争に太刀打ちできませんでした。

この「基幹ロケット高度化」によってか、2016年打ち上げ予定でスカパーJSAT衛星を、2017年打ち上げ予定でUAE(アラブ首長国連盟)の観測衛星ハリーファサットの民間衛星の打ち上げ受注が決まっています。これまで中々民間の打ち上げが受注できなかったのが嘘のような状況です。将来的には打ち上げ費用を大幅に低減させたH-Ⅲロケットの開発が待たれますが、これまで官需が中心だった我が国の打ち上げビジネスにもやっと陽が当たり出したようです。

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2015年11月18日 (水)

US-2の事故原因は異常操作

海上自衛隊の救難飛行艇US-2は、最大波高3mでの発着水が可能で世界最高の性能と評価されています。ところが、今年5月に訓練中に離水に失敗、機体は大破し海中に水没する事故を起こしました。幸い乗員19名は付近を航行中の護衛艦により、全員救助されましたが、機体は300mの海底に水没してしまいました。海自では1億7500万円をかけてフライトレコーダーを含む機体を回収して事故原因を調査していましたが、先週13日に事故原因を発表しました。

海自の発表内容は大変に判りにくい表現となっています。タイトルではあえて「異常操作」と表現しましたが、発表では以下の通りとなっていました。

「機体の姿勢を制御しようとする操作・操縦が過大であったことが原因」

「過大な操作は操縦ミスではない」

参考: 過大 → 程度が大きすぎるさま

一般的に考えれば、行き過ぎた操縦をすれば操縦ミスと言うことになると思われますが、どうやらミスではないということなので、正常ではない「異常操作」と言い回しを使いました。

事故当時、4基のエンジンの内1基のエンジンがトラブルで停止していたことから3基のエンジンを使って離水(通常は離陸ですが水の上なので離水と言います)しようとしましたが、波をかぶって機体を損傷したとされています。詳しい事故の状況は明らかにされていませんが、左右2基あるエンジンの1基が止まった状態になると滑走時に機体に発生する揚力のバランスが崩れます。これを左右のエンジン出力やプロペラのピッチでコントロールすることになりますが、通常風上に向かって滑走するのですが、時として風向と波の来る方向が違う場合があるようです。

想像ですが、今回、操作・操縦が過大ではあったが操縦ミスではないとされることから、困難な気象条件下で、機体のバランスを保ちながら離水しようとした中で、想定以上の事態が起き、正常な操作を逸脱してしまったということではないかと考えます。尚、今回の発表ではエンジン3発での離水手順についてマニュアルが存在していなかったことが併せて公表されました。今後試験飛行を実施してマニュアルを作成して行くとのことです。

ちなみに飛行艇の場合、波によってポーポイズと呼ばれる浮き上がり現象が発生し、機体が大きく持ち上げられて海面に激突し、機体を損傷する事故が発生することがあるようです。事故報告には触れられていませんが、もしかしたら要因のひとつとなっていた可能性も考えられます。

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2015年11月17日 (火)

03式中SAM改が射撃試験で全弾命中と話題に

陸上自衛隊は、地対空ミサイル「ホーク」の後継として射程距離など性能を向上させた国産の03式中距離地対空誘導弾(中SAM)を配備中ですが、システムが高額のため未だに「ホーク」が現役で、先日の奄美大島での訓練でも「改良ホーク」の部隊が展開していました。

性能向上もさることながら調達数改善のためのコストダウンが至上命題となり、現在改良型の「中SAM改」が開発中です。この中SAM改は空自のAAM-4空対空ミサイルを2段目に採用して、コストダウンと命中精度の向上を狙ったものです。AAM-4の転用は元々海自がXRIM-4として開発していたもので、命中するまで射撃管制レーダーを照射することが不要となるため大いに期待されていましたが、突然これまでと同様のセミアクティブ方式の米国製ミサイルを採用して計画は中止されていました。

そんな過去の経緯を持った「中SAM改」なので、開発陣の意気込みもさぞやと思っていましたが、今夏米国のホワイトサンズ・ミサイル実験場で行われた射撃試験で、GQM-163コヨーテ超音速巡航ミサイル標的を含む標的機を相手に10発発射して10発とも命中したことが米軍から明らかにされました。ホワイトサンズの試験自体はこれまでも公表されていましたが、地表数メートルをマッハ2.5以上で飛行可能な標的の撃墜に成功していたことは明らかにされていませんでした。

対空ミサイルではありませんが、国産の88式地対艦ミサイルも米国のポイントマグー射場での実射試験で、電波妨害をかけられた状態で全弾命中させて米国側を驚かせたとされています。
今回の公表が、防衛省側からではなく米軍からだったのは、そこに何らかの事情があったものと思われますが、ミサイル迎撃実験の全ての結果について動画を含めて公表している米軍らしい広報の仕方だと感じました。

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2015年11月16日 (月)

放置廃屋

放置されたままになっている空き家が全国的に問題になっていますが、我が家の近隣にも何十年も放置されている廃屋があります。

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中央のうっそうとした茂みが問題の廃屋ですが、樹木が生い茂って建物は全く見えません。近年はムクドリの大群がねぐらにしているため、夕方は鳴き声が大変にぎやかになり、タヌキやハクビシンの類も住み着いていたようです。

このような空き家は景観を害するだけでなく、放火の対象になったり、建物の倒壊や部材の飛散による二次被害を及ぼしたりしますが、建物が建っていることにより固定資産税が1/6になっていたことから相続税対策として放置の温床になっていました。そこで政府もやっと重い腰を上げ、固定資産税を6倍にし、自治体に撤去の代執行を認める「空き家対策特別措置法」を今年の5月26日に施行しました。

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そんなことがあったのかは判りませんが、最近になって生い茂っていた樹木が刈り払われ、廃屋が外部から望めるようになりました。

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住居跡。高齢の農業の男性が独居していましたが、逝去後は荒れるがままになっていました。

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以前は印刷工場として使われていた建物です。原版のインク落としにガラス玉が使われていて、摩耗して廃棄物となったものをビー玉替わりにするため、子供の頃には良くもらいに行ったものでした。

今後の利用については明らかになっていませんが、恐らく宅地開発されるのではないかと思います。野鳥の生息場所が失われるのは残念ですが、季節風が強まる時期を控えて防犯上のネックが解消されることは歓迎です。

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2015年11月15日 (日)

浜松城天守は何故消えた?

またまた浜松城の話題です。小田原攻めで北条氏を下した秀吉は、戦功と言う名目で家康を江戸に移し、家康の所領だった東海道の主要な城に配下の武将を置いて、それまでの土塁中心の城を堅固な石垣造りの城へと変貌させました。これは家康が大阪に向かうことを徹底的に阻止することが目的でした。今に残る城の多くが江戸時代に入ってから築かれた優美な姿の城ですが、秀吉の時代の城は戦に備えた実戦を意識したものでした。

この対家康の城は東から駿府城に14万石で中村一氏(かずうじ)、掛川城に5万9千石で山内一豊、浜松城に12万石で堀尾吉晴、吉田城(豊橋)に後に姫路城主となる池田輝政を15万2千石で、岡崎城に5万7400石で田中吉政を配しましたが、まさに鉄壁の守りと言うべきものでした。更に甲府城にも加藤光泰(みつやす)を24万石で配し、石垣の巨大な城造りをさせ、家康包囲網を作り上げました。

このようにして、豊臣の力により、それまで東海地方には見られなかった石垣を持った城が各地に誕生することになりました。この内掛川城、浜松城、甲府城には天守台が築かれました。駿府城にも築かれていた可能性がありますが、その後天下普請によって改修されたため、詳しいことは判っていません。掛川城の天守は慶長9年(1604)の地震で倒壊したことが記録に残っており、その後再建されて幕末まで残っていたことも判っています。甲府城については、朝鮮出兵中の1593年に光泰が病死したこともあり、天守そのものが建てられたかどうかは不明です。

吉田城には天守は築かれず、鉄櫓が天守の代わりとされました。岡崎城は大坂夏の陣が終わり、再び徳川方の城となった1617年に天守が築かれています。秀吉の時代には浜松以西の城に天守の重要性は薄かったのかも知れません。

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浜松城天守と天守門石垣(天守門復元前)です。

さて浜松城の天守ですが、江戸時代に描かれた絵図には天守が存在せず、その存在自体を疑う人もいましたが、天守台の地下から瓦が発見されており天守が築かれたことは間違いありません。では何故江戸時代初期までに消えてしまったのでしょう。
徳川の権力が確立されたことにより、家康の意向が働いたのではないかと見る人がいますが、これは間違いだと思います。何故なら、掛川城の天守は地震で倒壊しながら、その後再建されていることからで、浜松城の天守だけが再建されないことが説明できません。

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浜松城八幡台、浜松城内の最高地点です。ここにも何らかの櫓が建てられていたのではないかと考えられます。

徳川政権が確立された後は武家諸法度により、特に外様大名の城の修理が厳しく制限され、天守の再建はまず許可されなくなっていましたが、浜松城は幕府直轄に近い城でしたので、このような理由も考えられません。で、吉晴が出雲に転封となった後の城主について調べてみました。すると吉晴の後を5万石で継いだ松平忠頼が1609年に縁戚の水野忠胤(ただたね)の江戸屋敷で家臣の久米佐平次に切り殺され、武家にあるまじき不始末として改易されていたことがわかりました。

想像ですが、吉晴が12万石で築いた壮大な天守が5万石の大名には過分であったところに城主が他家の屋敷内で殺されてしまったこと、次の領主となった水野忠頼がわずか2万5千石だったことから自ら天守を取り壊したのではないかと考えますがいかがでしょうか。

その後は武家諸法度によって天守の新築は許されず、天守の代用になる御三階櫓も築かれていないことから天守門が天守の代用を果たしたものと考えられます。

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2015年11月14日 (土)

フランステロ事件

宗教間の対立は古く11世紀に始まる十字軍が有名ですが、キリスト教とイスラム教の対立は時を超えて現代まで続いています。宗教の自由は今日では基本的人権として広く認められていますが、異教徒を殺戮する権利は何人と言えども認められていません。

本日日本時間の早朝、フランス、パリで同時多発的に起きたテロ事件は死者120人以上の最悪の無差別殺人事件となりました。宗教的、外交的に対立する相手とは言え、民衆を無差別に殺戮するのは犯罪以外の何物でもなく、ましてや聖戦などと呼べるものではありません。事件の実行者はむごたらしい殺人者であり、地獄に落ちるべき卑劣な犯罪人です。

謹んで事件の犠牲者の冥福を祈ります。

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平戸のザビエル教会天主堂。ここでも多くの信者の血が流されました。

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2015年11月13日 (金)

レトルトスパゲッティ

イタリア人は本場だけあってパスタが大好きで、砂漠にいてもスパゲッティをゆでると揶揄されるほどですが、やはりパスタには水が必要です。特にアウトドアでは水は貴重品なので、中々パスタがメニューに上がることはありません。以前はレトルト入りで常温保存のできるスパゲッティが売られていたのですが、最近はパスタ用のソースの方はいくらでもあるのに見かけなくなっていました。

ところが、昨日立ち寄ったショッピングセンターで久しぶりにレトルトのスパゲッティを見つけました。随分とご無沙汰だったので、早速購入して帰りましたが、気になったので一時販売が中断していたのか、ネットで調べてみましたが、それらしい情報は見かけませんでした。単に私が立ち寄るショップのラインナップの問題か、商品の展示場所の探し方が悪かったのかも知れません。ところで、検索中に面白いことを発見しました。それは同じ商品中に「ナポリタン」と「イタリアン」があるのです。いわゆる「ナポリタン」は日本独自のもので本場イタリアには存在そうですが、「イタリアン」となると???です。

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2015年11月12日 (木)

お城の寿命

第二次大戦では国宝だった名古屋城を始め、和歌山城、広島城など多くの城が爆撃による火災で失われてしまいました。これらの城や明治期に失われた城跡では戦後になって鉄筋コンクリートで復元されましたが、ここに来て新たな問題が浮上しているようです。

それは鉄筋コンクリートの耐久性の問題です。木造と違ってコンクリートは強固なイメージがありますが、鉄筋の腐食やコンクリートの風化によってその耐久性は50~60年と言われています。木造天守が築城後400年以上を経ても現存しているのに、近代的な工法で建てられた再建天守が短寿命なのは皮肉としか言いようがありません。ちなみに著名な城の再建時期を調べてみると、名古屋城(1959)、和歌山城(1958)、熊本城(1960)、岡崎城(1959)、小田原城(1960)、浜松城(1958)と、なぜか1958年(昭和33年)から960年(昭和35年)に集中しています。

昭和33年から今年で57年が経ちますので、どの城もそろそろ寿命が心配されますが、小田原城では既に耐震工事に着手しており、今年の7月から来年3月まで天守への入城を中止しています。小田原城では木造による復元も検討されているようですが、実現まで時間がかかるので、とりあえずと言ったところでしょうか。

観光面への影響もありますが、何にしても安全の確保が一番なので、それぞれの管理責任者の適切な対処が望まれます。

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浜松城も往時の大きさで木造天守の再建が待たれます。

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2015年11月11日 (水)

速報!MRJが初飛行

本日午前9時36分、MRJ(三菱リージョナルジェット)が初飛行に向け、県営名古屋空港から離陸しました。国産初のジェット旅客機となるMRJは、2008年4月に母体となる三菱航空機が設立され、2011年の初飛行を目指していましたが、2009年9月に運用形態を考慮して胴体と主翼の設計をやり直したことから計画は遅れることとなりましたが、昨年10月には初号機がロールアウトし、今年度中の初飛行を目指していました。先週には高速地上滑走試験中に機首上げの動作も行われ、本番を迎えるばかりとなっていました。

9時7分に随伴機の社有機MU-300が離陸しましたので、これに続くのかと思われましたが、約30分後に短い滑走距離で軽やかに離陸して行きました。MRJには航空自衛隊のT-4練習機が随伴し、これをMU-300が撮影しています。初飛行は約1時間の予定で、11時10分の着陸予定となっています。

現在は遠州灘上空で、上昇下降を繰り返し行っている模様です。

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2015年11月10日 (火)

会計検査院が防衛省に無駄遣いを指摘

会計検査院が2014年度の国費の使途についての決算検査報告を公表しましたが、無駄遣いや不適切な経理、改善が必要な事業は570件、1568億円が計上されました。この中には、防衛省のF-15戦闘機のレーダーを、能力向上型と交換した旧型の機器の計256個がそのまま放置され、有効活用されていない件が含まれていました。

これについて旧型部品など使えないとする突っ込みが各方面から入っています。F-15J戦闘機は米国マクダネル・ダグラス社のF-15C/Dを日本の三菱重工でライセンス生産したもので、1981年に運用が開始されました。運用開始から今年で34年になりますが、わが国の空の守りとして第一線を担い続けています。しかし、日進月歩の技術の進歩の中、30数年前の機体では流石に他国の最新機に太刀打ちできませんので、主要な機器類を新型のものに交換したり、新たな装備を追加する近代化改修を行っています。

初期ロットで改修前の機体をPre-MSIP機、改修後の機体をJ-MSIP機と呼んで区別していますが、計画では現有保有機約200機の内、Pre-MSIP機99機を除く102機に近代化改修を行うことになっています。平成26年度までに84機が改修を終わっており、搭載レーダーがAN/APG63からAN/APG63(V)1に交換されました。会計検査院はこの取り外したAN/APG63が活用されていないことを指摘しています。ただし、このAN/APG63レーダーを搭載しているのはF-15JのPre-MSIP機のみとなりますので、もし再使用するとすれば壊れたPre-MSIP機のレーダーと交換する時となりますが、運用機会の少ないPre-MSIP機ではレーダーの使用頻度も高くないと思われますので、どれほどの需要があるかは疑問です。

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スクランブル体制のF-15J戦闘機。

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2015年11月 9日 (月)

ロシア機墜落事故

先月31日に発生したロシア機がシナイ半島を飛行中に墜落し、乗員乗客224人全員死亡した事故について、当初は否定的だったテロによる爆弾原因説が日に日に強まっています。当初こうした見方に反発したロシア側もテロの可能性を否定しない見方に変わっています。現時点では、米国の早期警戒衛星が爆発のものと思われる強い赤外線を捉えていることと、米英の情報当局が武装勢力側の通信を傍受して、テロの状況を確認したとされることからテロの可能性が高いとされています。

いずれにせよ民間航空機が安全に飛行できない事態は由々しき問題なので、早急にセキュリティの強化が求められます。

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2015年11月 8日 (日)

エアフェスタ浜松2015予行その2

昨日の続きです。今日は朝から雨でしたが、エアフェスタ本番では飛行展示が行われているようです。午後からは曇りの時間帯もありそうなので、ブルーインパルスも飛べるかも知れません。

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ブルーインパルスが使用する機体には何番機かを表す番号が表示されていますが、この機体は予備機なので番号が書かれていません。

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救難隊のUH-60Jヘリコプター。御岳の噴火による行方不明者の捜索や北関東の洪水の救援にも出動しています。

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UH-60Jに先行して遭難者を発見するU-125J捜索機。航続距離が4000Kmもあり、太平洋上の遭難でも長時間現場に留まって捜索を行うことができます。

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もしかしたら今日は飛ばないのかと、みんなが心配しだした2時半少し前にやっとブルーインパルスが離陸して行きました。雲の高さによっては飛行が中止されることもありますので、雲の様子が心配です。

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水平系の演技は雲の心配がないので、安心して見られました。

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これはスモークが風で流れているのではなく、機体をひねりながら飛んでいるのですが、激しい機動をしています。

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結局予定された演目は全て消化されたようです。ただし、垂直系の演技では雲を考慮してハートの傾きをいつもより大きくするなど、曇り空バージョンに切り替えて行われたものもありました。

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ハイライトのスタークロスも雲が邪魔してくっきりしないのが残念。

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地上に降りて勢ぞろい、観客の前を通過してエプロンに戻ります。

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2015年11月 7日 (土)

エアフェスタ浜松2015予行その1

エアフェスタ浜松2015の予行に行って来ました。本番の8日の天気が雨の予報なので、せめて予行を見ようとやって来た人々で、大変な賑わいでした。

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9時過ぎに会場の航空自衛隊浜松基地に着いたら、ちょうどブルーインパルスが着陸するところでした。カメラはまだザックに入ったままでしたので、あわてて取り出して撮影開始です。

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9時半過ぎにAWACSのE-767が警戒飛行のため離陸して行きました。

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11時前に小牧基地からC-130輸送機がやって来ました。後方にブルーインパルスの機体が整列しています。

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C-130に続いて厚木基地からP-1哨戒機が降りて来ました。P-1は国産のターボファンエンジンを4基備えていますが、大変静かな機体です。

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地上展示かと思われたC-130ですが、12時前に離陸して行きました。

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12時半過ぎにT-4練習機、10機が一斉に離陸して行きました。風向きが変わってしまったので、離陸の方向が西向きとなっています。

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前の機体との距離はほとんどありません。パイロットの練度の高さの証です。

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T-49機によるダイアモンド編隊です。

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滑走路脇にカラスの群れが居ついていましたが、無事着陸です。カラスも滑走路周辺には近づかないようです。

その2に続きます。

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2015年11月 6日 (金)

自動運転車の実現性

このところ自動運転車に関するニュースが多くなっています。現在開催中の東京モーターショーでも、各社が近未来技術として試作車をアピールしています。政府も2020年の東京オリンピックに、自動運転のタクシーの運行ができないか検討を始めています。

現在でも歩行者や障害物を検知して自動的にブレーキをかけるシステムや速度を一定に保つシステムは実用化されており、そこから実際の運転で集められた様々な運転中の状況が、自動運転の開発に大いに役立っているのではないかと思われます。

では、各社が実用化の目途としている2020年に、一般道路を自動運転車が走行可能かと考えた時、やはりちょっと厳しいのではないかと思います。ただ、自動運転と言ってもレベル1からレベル4まで、ドライバーの関与の度合いが違いますので、その時点での技術の進展や道路インフラ、事故に関する責任問題などによって、どの程度の自動運転が許容されるかは全くの未知数です。

現在、各地で居眠りや脇見による追突事故やアクセルの踏み間違いや体調不良者よる暴走、高速道路の逆送などが問題になっており、もし車体にこれらを防ぐ機構が備わっていたらと思いますが、現時点では自動運転の限界も明らかになっています。

先日も行動実験車が路外にはみ出す「事故」を起こしましたが、信号や交通標識、停止線やセンターラインを車体が認識して走行する場合、もしこれらに不備があると大変危険なこととなってしまいます。実際にあったケースでは路肩の雑草を障害物と認識して中央寄りにハンドルを切ったり、信号が連続する交差点でスムーズな発進ができなかったケースが確認されています。また、高速道路での合流時に本線側が渋滞していると、現在の自動運転車では対応できないようです。

これらは人間でも誤って対応したりすることがありますので、大変難しい課題だとは思いますが、実際の道路では物陰からの飛び出しや路面の冠水や落下物など、予測不能な事態に結構な頻度で出会います。また工事などで応急に作られた通路を走行することも良くあります。これらのことを考え合わせますと、現在の状況ではレベル4の完全自動運転は、かなり厳しいのではと思われますが、レベル3の半自動運転までは何とか漕ぎつけて欲しいものだと思います。

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2015年11月 5日 (木)

タカタが硝酸アンモニウムの使用を中止に

タカタのエアバッグで、既にリコールされていた日産車が、交換用のエアバッグが間に合わずに入荷待ちをしている内に事故に遭遇、破裂事故が起きてしまいましたが、騒ぎの発端となったホンダがタカタ製のエアバッグの使用中止に踏み切りました。

一連の破裂事故は、エアバッグを膨らめるインフレ―ターと呼ばれるガス発生に使われている硝酸アンモニウムと言う火薬が湿気によって変質したことが原因ではないかと考えられていますが、タカタはこれを否定していました。ところが、タカタ以外のエアバッグメーカーは全て硝酸グァニジンを使用しています。硝酸グァニジンは吸湿性はないと言われており、事実他社製のエアバッグではこのような破裂事故が起きていないことから、やはり硝酸アンモニウムの特性による可能性が高まっています。

事故が多発した米国の運輸省は新たにタカタが硝酸アンモニウムを使ったエアバッグを供給する契約を結ばないことをタカタに要求していましたが、ついにタカタも2018年までに硝酸アンモニウムの使用を中止すると発表しました。自動車部品は、安全性の確認に多くの時間を費やしますので、タカタとしてもそう簡単に硝酸グァニジンへの切り替えはできないのですが、ことがここに至ってはそんなことを言っていられなくなったものと思われます。

エアバッグは、衝突事故の際にシートベルトの補助器具として被害軽減に大きな効果がありますが、そのエアバッグが危害を及ぼすようでは本末転倒です。人命にかかわる事故が起きている以上、硝酸アンモニウムの使用中止は止むを得ません。

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2015年11月 4日 (水)

ご愛読に感謝

ブログを続けているとアクセス数が気になりますが、書き込む熱意とアクセス数が必ずしも比例しないところが面白いところでもあります。当ブログは私が感じるままを好き勝手に書かせてもらっていますので、読者の皆様の共感を得るかは別問題なのですが、やはり気になるのが人情というものです。

先月10月は、久しぶりに1か月を通して毎日欠かさずに投稿ができましたが、アクセス総数は2351でした。一番多い日で140アクセス、一番少ない日が55アクセスで、平均すると1日当たり76アクセスでした。ところが月が替わって今月の1日から昨日までの三日間のアクセスが、1日が121アクセス、2日が106アクセス、3日が110アクセスで、なんと三日連続で100アクセス越えとなりました。

テーマもそれぞれバラバラですし、何故こんな結果になったのか判りませんが、より多くの人に記事を読んでもらえたのはうれしい限りです。ただアクセス数はあくまで結果なので、数だけを追い求めず、これまで同様の記事を書いて行きたいと思っていますので、これからも宜しくお願い致します。

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2015年11月 3日 (火)

日韓首脳会談が3年半振りに開催

昨日、ソウルで朴大統領と安倍首相の会談が1時間45分にわたって行われましたが、日韓両国首脳の会談は実に3年半振りのことでした。取材映像では、朴大統領が見せた何時にない笑顔が印象的でしたが、通常は行われる会談後の共同記者会見や昼食会は設定されず、隣国の首相を迎えるについて非礼な印象はぬぐえません。

会談後、安倍首相はソウル市内の焼き肉店で、武藤駐韓国大使らと食事を摂ったとのことですが、一国の指導者が訪問国で公式な場を用意されないのは、相手をそれだけ低く見る行為で、外交上大変失礼な態度です。日本側が和食でなく韓国料理を選択したのは、韓国側に配慮したからで、逆に日本に対してこうした配慮ができないのが韓国です。同時に訪問中の中国の李首相に対しては晩さん会でもてなしていますから、その態度はあからさまとも言えます。

ちなみに李明博前大統領が2008年4月に訪日した際は、会談後の共同記者会見、天皇皇后両陛下との会見、総理夫妻による晩さん会でもてなしています。

現在経済の減速で苦境にある韓国は、日韓通貨スワップの復活を希望しているようですが、そもそも韓国側から打ち切りを希望し、今年の2月に終了させたものをわずか半年余りで再開させたいとは虫が良すぎると思いますが、その相手国に対しての振る舞いがこれですから、何をかいわんやです。

ただ、何にしても隣国同士ですから、せめて今後は年1回くらいは会談をして、意思の疎通は図って欲しいものです。

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2015年11月 2日 (月)

秋色めいた浜松城

80歳を迎えても現役で南アルプスの山々に登り、フィルムカメラで山岳写真を撮り続ける超元気な老人パワーの知人が浜松城公園北側にあるホテルのロビーで個展を開くと聞いたので、登城をかねて昨日の日曜日に行って来ました。

かつてモノクロームの写真集を自費出版ではなく、地元新聞社からの企画で出版した腕前は確かで、山岳写真の宿命であるお天気次第の撮影条件の中で、アマチュアとして一定水準の作品を多数残すことには、かなりの登山回数があったことが見てとれました。

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さて、本題です。浜松城には、8月に行われた浜松市による石垣発掘調査の現地説明会以来となりますが、少し木々が色づいて来たようです。

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市役所北側の歩道もこんな具合です。

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雲が多いのが残念でしたが、陽射しを待って色づいた木々に囲まれたお城をパチリです。

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現在の発掘調査跡地です。土嚢が積まれて石垣は外部から見えなくなっています。本来はここから北側が本丸となっていましたが、城跡を公園化する過程で石垣が壊されて現在の姿になってしまいました。今後石垣や発掘された家康時代の堀跡をどう保全していくのか、内部で検討されていることと思われますが、数年先には富士見櫓の復元工事を控えており、資材搬入路として後方のスロープは当面残さざるを得ないのではないかと思われます。

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浜松城主から出雲に転封となった堀尾吉晴が築いた松江城天守が、今年7月に国宝に指定されました。双方の城とも付櫓を持ち、天守内部に井戸を備えると言う共通した特徴があります。現在の建物はこれらを全く考慮せずに戦後建てられたもので、もちろん家康とは何の関わりのないものです。

山内一豊が旧領の掛川城を偲んで高知城の天守を築いたように、吉晴も浜松城天守を下敷きとして松江城天守を構築したと考えるのが妥当だと思われます。一日も早く、松江城を彷彿させる天守が再興されることを願っています。

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2015年11月 1日 (日)

秋一段と

今日から11月ですが、今朝起きて部屋の温度計を見ると18℃でした。外気温は9.8℃とこの秋初めて10℃を下回り、いずれも一番の冷え込みとなりました。気温が10℃を下回ると紅葉が進むと言われていますので、これから駆け足で山から里に向かって紅葉前線が下降を始めるのではないでしょうか。

昨日も良く晴れて遠くの山々がくっきりと見えました。遠く富士山も望むことができましたが、残念ながら雪のない、青い山体でした。明日は天気が崩れるようなので、富士山では雪となるのではと思われます。雪をかぶった富士山が見られるのが楽しみです。

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以前に撮影した、静岡の山の上から見た富士山です。

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