伝説の女優原節子が雲の彼方に
東京物語など小津安二郎監督の主要作品に出演し、永遠の処女と言われながら、小津監督の死を契機に以後二度と公的な場に姿を見せなかった原節子さんが9月に95歳で死去していたことが明らかになりました。
私はリアルタイムでは小津監督も原節子も知りませんでしたが、26歳の時にフランスで東京物語のポスターを見て小津安二郎の名前を初めて知りました。山登りに夢中になっていた当時の私には、中高年の心情、機微を描く小津作品を理解することはできませんでしたが、小津作品を通じて女優原節子を知りました。小津作品はカメラを低い位置に据え、固定したまま登場人物の会話を長回しするスタイルで有名ですが、そのようなカット割りの中で自分の存在感を十分主張していたように思います。
小津監督はその作品の大半がモノクロームですが、1958年からカラー作品に移行します。原節子は1960年の秋日和、1961年の小早川家の秋で母親役で登場していますが、何故か遺作となった1962年の秋刀魚の味には出演していません。小津監督は原の演技を高く評価していたと言うことですが、一世を風靡した原が、カラーの画面で母親役を演じることに違和感を感じたのかも知れません。
小津監督は自身の60歳の誕生日であった1963年12月12日にこの世を去りますが、原節子さんはその通夜に参列したのを最後に公的な場から遠ざかってしまいました。リアルタイムでの姿を知らない私にとっては文字通りの伝説の人であった訳ですが、逝去により永遠に伝説となってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。
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