曳馬城跡に秀吉、家康像を設置
今年は徳川家康の没後400年ですが、徳川家康公顕彰四百年記念事業浜松部会(事務局・市産業部)が、浜松にゆかりのある秀吉と家康の銅像を浜松城の前身となった曳馬城跡に設置し、この16日に一般に披露されることが明らかになりました。
三河から遠江に侵攻した家康は、曳馬城を攻め落とすとその近くに浜松城を築き、駿河攻略の拠点としました。曳馬城は浜松城の一部となり古城と呼ばれて米蔵が置かれました。その後領地を拡大し、江戸幕府を開いたことは史実が示すところですが、家康の前に天下を手にした秀吉も曳馬城の支城であった頭陀寺(ずだじ)城に一時仕えた時期があり、浜松にゆかりのある武将です。このことから今回の銅像の設置となったようですが、実は秀吉の前に天下人となった信長も浜松城に立ち寄っています。
天正10年(1582年)2月に武田家を滅亡させた信長は甲州からの帰路4月16日に浜松城に立ち寄りました。このわずか2か月足らず後に本能寺で倒れるのですが、まさに信長の絶頂期と言える時期です。秀吉は小田原征伐の折にも浜松城に滞在しており、戦国の三英傑と称される信長、秀吉、家康が足跡を記した浜松城は大変貴重な史跡です。今回の二人に加え、信長の像の設置も検討されて良いのではと思います。
東照宮にある曳馬城跡の石碑です。
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