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2015年12月 6日 (日)

野面積みへの誤解

引き続きお城の話です。江戸時代以前の石積み工法の代表格は、「野面積み」と呼ばれる採取された石をそのままの姿で積み上げる方式で浜松城の石垣が良く知られています。「野面積み」の石垣は石と石の隙間が大きいことから、技術的に低く見られますが、これは当時はまだ戦乱の最中であり、のんびりと石を加工している時間的余裕が無かったからです。「野面積み」の表面的な姿から、一般の人が未熟な技術と誤解してしまうことは仕方がないのかも知れませんが、研究者と呼ばれる人が勘違いするのは困ったものです。

広島大学 大学院の三浦正幸教授は城郭研究の第一人者の一人とされていますが、三浦氏でさえも正しい認識を持っていないように思われます。以下は三浦氏が甲府城について講演を行った際の資料からの引用です。三浦氏は石垣の上部の辺が直線とならずに湾曲しているのは技術的に未熟で歪だったとしています。

甲府の次に歪んでいるのが甲府城と同じ時期に造られた静岡県の浜松城です。

天守台の角が鈍角、もしくは鋭角で、90度のところがほとんどないのは、石垣の築造技術がまだ低かったことと、もう一つは当時の城の造り方が、四角く整地するものではなくて、大まかに削って不等辺多角形で構わない方針だったと言う2点から、歪んだ天守台になったことが分かります。

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三浦氏に歪んだ石垣と言われた浜松城と同じ時期に、豊臣の重臣であった堀尾吉晴によって石垣が積まれた、浜松城の支城だった二俣城の天守台です。上部の石垣が内側に湾曲しています。

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こちらは「打込み接ぎ」(うちこみはぎ)の技法で積まれた竹田城の石垣です。こちらも上部の辺が内側に湾曲しています。

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竹田城の石垣はこのように「打込み接ぎ」の技法で整然と積まれています。その上で上辺だけが内側に湾曲しているのは意図的にアーチを作り、石垣が崩れないようにした技法だと考えられます。

築城時、現場では縄を張って測量を行いました。今日でも縄張りと言う言葉がありますが、これはその名残です。石積み工事でも、当然縄を張って平面を監視していた筈ですから、もし歪んで湾曲したのであれば、その場で修正された筈で、見過ごされたとは到底考えられません。

以上のことから、「野面積み」は決して原始的な技法ではなく、造営後400年以上も持ちこたえることができた高度な土木技術だったと考えます。

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