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2016年3月14日 (月)

今に残る明治の矜持

江戸時代、各藩は藩校を開いて人材育成を行ないました。長州藩の明倫館、水戸藩の弘道館などが有名ですが、幕末期においては藩校出身の志士たちが歴史を動かしました。徳川幕府を倒した明治政府は、この流れを引き継いで1872年(明治5年)に学制を公布し、各地に尋常小学校を開設しました。

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松崎町にある国の重要文化財の旧岩科(いわしな)学校です。有名な松本の旧開智小学校は学制公布の翌年の1873年に早くも創立されています。当時交通の便が良かったとは言えない伊豆においても、旧開智小学校に遅れること7年後の1880年に松崎町に旧岩科学校が創立されました。旧岩科学校は総工費2630円(現在の価値で約2億円)が費やされましたが、内4割は裕福だったとは言えない地域の住民からの寄付によるものだったと言うことです。

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開校当時の岩科学校。校舎内に展示されていた写真をカメラで撮ったものです。

松崎町は伊豆の西海岸に位置する漁業と観光の街ですが、漆喰と鏝(こて)を使い、まるで油絵のような鏝絵を多く残した名人入江長八の出身地でもあります。この旧岩科学校の正面玄関には、長八の手による龍の彫刻が残されています。

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バルコニー上部、岩科学校の看板の上の彫刻が長八の作品です。

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校舎内、鶴の間にある飛翔する鶴を表した鏝絵です。着色した漆喰を鏝で盛り、油絵のように仕上げたものです。

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校舎内の様子。決して広いとは言えない教室ですが、向学の夢を抱いた子供たちがここで学び、日本の礎を築く源となりました。明治政府は、土地や資源に恵まれない我が国において人材こそが国の宝と考え、教育に力を注ぎましたが、貧しい中、その意を汲んで子弟の教育を行なった明治の人たちの志には胸を打たれるばかりです。

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