通潤橋は落ちなかった
以前にも取り上げましたが、九州地方には石で築かれたアーチ橋が沢山残っています。中でも熊本県上益城郡山都町にある江戸時代末期に作られた通潤橋(1854年完成)は、外観の美しさと休日に行われる橋からの放水によって広く知られています。今回の地震では最大震度6弱の揺れに見舞われ、熊本城の石垣のように損傷しないか心配されていました。
昨年5月に撮影した通潤橋。谷を越えて農業用水を送るために、地元の名主が私財を投じて建設したものです。
当初の4月14日の地震では無事だったことが確認できましたが、その後16日に更に大きな地震が起き、その後も数限りない地震が続いていましたので、何らかの被害が出たのではないかと心配していましたが、今朝の中日新聞によれば、16日の地震で発生した用水を通す水路管の破損以外は大きな被害は出ていない模様です。
記事によれば、町文化財保護委員の石山信次郎氏は「江戸時代の石工たちが考えた耐震構造のおかげです。」と見ており、アーチ下部から側面に張り出した「鞘石垣」(さやいしがき)が崩壊を防いだと考えられとしています。通潤橋は大変な難工事が予想され、工事には熊本城の石垣の保守に当たっていた石工が担当したと言われており、熊本城の武者返しに倣った技術が使われていました。
上部から見た通潤橋。橋の幅に比べて基礎の部分の幅が倍以上になっているのが判ります。
町史によれば、通潤橋の完成から数か月後には推定マグニチュード8以上とされる地震に見舞われましたが、その時も落ちることなく地震に耐え抜きました。ただ単に外観が美しいだけでなく、卓越した技術で築かれていた国の重要文化財の通潤橋は、もっと広く知られて良いのではないでしょうか。
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