井伊氏ゆかりの三岳城へ 前編
浜松市北区引佐(いなさ)町に井伊谷(いいのや)と言う地区があります。かっては静岡県引佐郡引佐町の町役場が置かれたこの地方の中心地で、彦根城を築き、江戸時代を通じて彦根藩を治めた井伊氏発祥の地です。
引佐町時代に作られたマンホールのふたが今も残されています。
井伊氏は井伊谷の城山に井伊谷城を築き、居城としていましたが、南北朝時代には後醍醐天皇の第四皇子、吉良親王を擁して三岳山に三岳城を築いて北朝方に対抗しました。しかし奮戦むなしく1340年1月に三岳城は落城してしまいました。
時代は下って戦国時代、三岳城は再び戦の場となりました。1514年、遠江国の守護職を今川氏と競っていた斯波義達は井伊氏を従えて三岳城で今川勢を迎え撃ったのです。ところが、掛川城主朝比奈備中守の猛攻に三岳城は落城してしまい、以後城として使われることはなかったとされています。
国道257号線、井伊谷交差点を東進すると三岳神社に通じる林道に出ます。高度を上げて上っていくと三岳神社手前に道標がありました。設置者は文部省・浜松市となっており、三岳城が国指定の史跡であることが判ります。
その少し先の道路右脇に三岳城の由来を記した看板が設置されています。なぜ駐車場のある三岳神社ではなく、道路脇に設置されているのか不思議です。
その手前にある三岳神社への参道。三岳城への案内標識がありますが、かなりの急登です。
三岳神社への石の参道。三岳城時代に作られたものか、後世に築かれたのか判りませんが、いずれにしても鎧姿でこれを登るのは大変そうです。
石段を登りきると、かつて3の城となっていた三岳神社に出ます。手前の車道の先に三岳城の案内板があり、登城口となっています。
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