大川小津波訴訟で石巻市が控訴
東日本大震災の津波被害で、教員・児童合わせて84名が亡くなった宮城県石巻市の大川小学校の遺族が学校の責任を訴えた裁判で、仙台地裁は10月26日に、学校側の過失を認め賠償金を支払うように命じた判決を下しました。
2015年4月撮影の岩手県田野畑村の津波被災現場。中央に津波で壊れた防潮堤が映っており、その内側に新しい防潮堤を建設中でした。
これに対し、石巻市の亀山市長は「今回の判決で(死亡した)先生方に責任を負わせることはつらい。学校の防災教育にも大きな影響を与える内容で、今後のことを考えて控訴する」として市議会に控訴の議案を提出し、市議会はこれを賛成多数で可決し、控訴することが決定しました。
今回の訴訟に対しては「天災だから仕方がない」「津波は予見出来なかった」「教師も亡くなっているのだから責任を問うべきではない」など学校側を擁護する意見がある反面、「他の多くの小学校で高台に避難して難を逃れたのに、大川小の被害は突出しており原因究明が必要」「事前の予見はできなかったが、市の広報車が津波の接近を知らせており、被災は予想された」「被災時に裏山に逃れた児童は助かっており、教師の判断ミスは明確」など判決を支持する声も多く上がっています。
今回の判決を機に、私も被災の経緯を調べましたが、やはり学校側の判断ミスが大きいと感じました。大川小学校は海岸から4Kmほど遡った北上川の右岸の平地にありましたが、海抜から2mほどの高さの場所で、海岸からは平坦な田園地帯が続いています。それに対し、地震直後に予想高さ6mの大津波警報が出されていますから、常識的に考えれば津波被害を想定するのが当然です。通常、学校には防災担当が置かれ、教師も警報が出ればメール配信などで発令を知ることができるようになっているのが一般的です。津波襲来は地震からおよそ50分後でしたが、これだけの時間があれば裏山はもちろん、それ以外の高台にも避難は充分可能でした。
裏山への避難については、地割れを心配して実行しなかったとされますが、数分で登れる場所なのに誰も確認に行っていません。また、被災後の航空写真や現地踏査からも地割れの発生は確認されていません。時間を浪費した挙句、危険な場所への避難を指示した学校側の過失が問われても仕方のない事案だと思います。
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