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2016年11月20日 (日)

浜松城が様変わり

今年は週末が雨になることが多く、浜松城を訪れる機会がありませんでした。先日から浜松城がらみの資料を調べていたので、紅葉が進んだであろう浜松城に行って来ました。

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市役所駐車場から見た天守門と天守。雨上がりの青空がとてもきれいでしたが、手前の木々の葉は既に散ってしまっていました。

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現在の天守は、戦後に石垣の2/3の面積に鉄筋コンクリートで建てられたもので、サイズダウンされています。本来の天守は3層4階建ての巨大な建築物だったと手前にある説明版に書かれています。恐らく、浜松から松江に転封になった堀尾吉晴が築いた松江城に似た外観だったと考えるのが自然ではないでしょうか。

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天守門の外から富士見櫓跡方面を見て驚きました。これまで本丸に鬱蒼と茂っていた樹木がほとんど伐採されて見通しが利くようになっていました。実は以前にも伐採が行なわれたのですが、一部に留まって、あまり眺望は改善されず、これまでこの位置から富士見櫓跡の石垣を見ることはできませんでした。

富士見櫓はその名の通り、富士山を望むことができる櫓ですが、浜松市が行なった発掘調査では玉砂利が見つかっており、茶室としての機能も持っていたと考えられ、近い将来復元されることが決まっています。

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富士見櫓跡から見た天守方面。今までこの位置から見ることができなかった天守が良く見えています。

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天守曲輪西側の樹木も伐採されていて、これまであまり良く見えなかった屏風折の石垣が良く見えるようになっていました。

これまで浜松市は浜松城の保全についてあまり力を入れていませんでした。このため、歴史上重要な城であったにも関わらず、浜松城は国の史跡に指定されていません。浜松城は江戸幕府を開いた徳川家康が遠江に進出を果たし、天下取りの礎を築いた歴史的に重要な場所です。今日に残る城跡は家康の築いたままではなく、秀吉の命によって堀尾吉晴が石垣の城に改修したものですが豊織期の特徴を良く伝えている貴重なものです。家康が初めて築城した城であり、もっと全国にアピールする必要があるように思われます。

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