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2016年11月 5日 (土)

三岳城の大手門は?

先週三岳城に行って遺構を見て来ましたが、その際に撮影した現地案内板の中身について疑問が沸いてきました。現在の登城口は林道を辿った御嶽神社にあり、山道を登ると一の城に通じる桝形虎口に着きますが、その間ほとんど防御ラインが見当たりません。また、御嶽神社一帯にあったとされる三の城には城内唯一の水場がある重要地点ですが、そこから登城するのであれば、真っ先に生命線である水場を敵に押さえられることになってしまいます。

二の城に設置された案内板に三岳城全体の見取り図がありますが、きれいに撮影できなかったので、エクセルで概念図を再現してみました。

Photo_3


この図を見ても三の城を落としてしまえば、城内の水を絶てるので簡単に三岳城を落とすことが可能だったことが見て取れます。実際に一の城に登ってみても、本曲輪西側に多くの防御ラインが見られました。

Pa300028r16

崩れた石垣跡。門が設けられていたのかも知れません。

これに対して御嶽神社から本曲輪の間にはさほどの防御ラインの跡は見られません。年月によって地形が変わってしまっている可能性がありますから、現在の姿から直ちに当時もそうだったとは結論付けられませんが、どうにも脆弱な印象をぬぐえません。

Pa300004r16

現在の御嶽神社の参道ですが、仮にこれが大手道だったとすれば、とても急傾斜で物資の運搬に苦労しただろうと思われます。御嶽神社は三岳城が使われなくなってから建立されたと考えられますので、城があった当時にこの石畳はなかったと考えた方が良いのかも知れません。

これに対して一の城西側は石積みや土塁、腰曲輪が今も明瞭な形で残っています。西曲輪の先には兎荷(とつか)や花平の集落への緩やかな尾根が伸びており、小荷駄の運搬に利用できたものと考えられます。逆に言えば、歩き易いが故に、攻め手を引き付けることになってしまい、防御ラインを幾重にもする必要があったと考えられます。

こう考えると、二の城、三の城は敵の攻撃を正面に受けるのではなく、後方の役割として兵糧や武器庫として使われた可能性も考えられます。特に三の城については城の最奥でなければならず、敵の進入路に面していることはあり得ません。

地形図を見ても三岳山南面はかなりの急斜面となっており、空堀などを構築して防御を固めていれば山中から大勢の軍勢で攻め寄せるのはかなり困難で、重要な水場があったことも頷けます。やはり大手道は西曲輪にあったと考えるのが自然ではないでしょうか。

西側大手門説は私の勝手な印象論ですが、次回訪問時には西曲輪周辺をじっくり調査してみたいと思います。

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