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2016年11月18日 (金)

家康以前の浜松は

来年の大河ドラマは当地浜松を舞台にした「女城主直虎」ですが、現在の「真田丸」に続いてこの地を治めた徳川家康が登場します。家康は今川義元の人質、そして家臣となっていましたが、桶狭間の戦いで義元が討たれると今川氏の支配から独立し、遠江へと進出して浜松城を築きました。そして浜松城を本拠地として今川、武田勢と戦い天下人へと勢力を拡大したのです。

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浜松城天守。今に残る石垣は、家康が江戸に移った後に入った豊臣の武将、堀尾吉晴が築いたものと考えられています。

直虎が城主を務めた井伊谷城の東にあった、三岳城を探訪したのをきっかけに、家康統治以前の浜松について調べてみました。

家康が浜松に進出した当時は今川氏の勢力が衰退し、武田氏が南下の機会を虎視眈々窺っていました。当時曳馬城は今川配下の飯尾連竜が守っていましたが、氏真に謀反の疑いをかけられ謀殺されてしまいました。それ以前はこの地を荘園とした東三河の吉良氏が支配し、今川氏に攻略されるまでは吉良家家臣の大河内貞綱が曳馬城を守っていたようです。

更にややこしいことに、統治上は遠江国の守護は斯波(しば)氏であり、斯波氏は台頭してきた今川氏と激しく対立しますが、今川氏は吉良氏の分家にあたる一族ですから、まさに麻のごとく乱れた状態だった訳です。直虎の井伊一族はこの過程で今川勢に敗れ、家臣となって苦難の道をたどることになりました。

遠江国の守護も斯波氏から今川に移ったりと混乱を極めましたが、1517年に曳馬城に籠った貞綱が今川氏親に討たれ、斯波義達は捕えられて出家させられました。これで家臣は義達を見限り、斯波氏は没落して名実ともに今川の治世となりました。没落した斯波氏の後を継いだの家臣だった織田氏です。織田氏は義達の遠江侵攻にはメリットがないとして反対しましたので、義達は十分な兵力を動員することができませんでした。結局わずかな手勢だけで遠征することを良余儀なくされ、最終的に今川に敗北したのです。

つまり、後に天下を取った信長が大大名になることができたのは、曳馬城で義達が負けたからであり、家康が天下を取る緒についたのも曳馬城を落とし、ここに浜松城を築いたからで、曳馬城が日本史におけるとても重要な場所だったことが判りました。

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