幻の浜松城天守をイメージで再現
今年も押し迫って、残すところ12時間を切りました。様々な出来事があった2016年でしたが、なんと言っても特筆すべきは熊本地方での群発地震でした。私は昨年5月末から6月初旬にかけて西日本から九州にかけて車中泊で旅行しましたが、その時見た熊本城が壊滅的な被害を受けたことが衝撃でした。
熊本城の被害の復旧には今後20年程度かかるのではないかと見られていますが、現在の年齢を考えれば、元に戻った景観を見ることは二度とないかも知れません。地震によって大きな被害を受けた人々の生活再建もまだ緒に就いたところであり、地域全体が復興するにはまだまだ時間が必要になるようです。
さて、今年のもう一つの話題に大河ドラマの真田丸がありました。真田幸村の奮戦も及ばず、大阪夏の陣で大阪城は焼け落ち、秀吉が築いた大坂城は徳川幕府によって地下に埋められてしまい、現在見ることができる新たな大坂城として再建されました。
そんなことを考えていたら、地元の浜松城の天守に思いが行って、当時の天守のことがをあれこれ考えました。浜松城は徳川家康が遠江に進出して、初めて築いた城ですが、現在残っている石垣は2代目の城主となった堀尾吉晴が築いたものと考えられています。
浜松城の天守は1600年台の中頃には既に無くなっていたと考えられており、写真の天守は戦後とりあえず復興のシンボルとして観光目的に建てられたものです。そのため、石垣と天守の大きさのバランスが取れておらず、石垣の2/3の面積を使って建てられた寸足らずの大きさとなっています。堀尾吉晴は関ケ原の戦いの功績によって松江に転封となり、松江城を築きました。私はここに建てられた天守も松江城に似た外観だったのではないかと思っています。
そこで、石垣に合わせて松江城をまねて幻の浜松城の天守を作ってみました。石垣右側は付け櫓と言って松江城でも天守への入り口になっています。
天守の正面は東を向いていますので、この図は側面からになりますが、かなり堂々とした高さを持った天守であったことが窺えます。浜松市は浜松城跡の再整備を進めていますが、将来このような天守を再建して欲しいものです。
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