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2017年1月 2日 (月)

秀吉没後の豊臣方武将の帰趨

大河ドラマ真田丸に続いての今年の大河ドラマは、彦根藩の始祖となった井伊家を守り抜いた女性を描いた「おんな城主 直虎」です。直虎が守り抜いた直政が仕えたのが浜松城の城主だった徳川家康です。家康はその後武田氏を滅ぼし、勢力を拡大して行きますが、その力を恐れた秀吉によって駿府から江戸へと移され、大阪から遠ざけられました。そして家康が拠点とした各地の城には秀吉配下の武将を配して、江戸にいる家康をけん制したのです。

ところが秀吉の死後、これらの武将はことごとく家康側に就き、関ケ原の戦いでは東軍として戦いました。そしてその結果、功績を認められて加増されますが、これまたことごとく西国に移封されて江戸から遠ざけられました。

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秀吉は東海道沿いの諸城に配下の武将を配置して、江戸の家康が大阪に攻め上がれないようにけん制したのです。ところが、1598年に秀吉が死去するとこれらの武将は全て家康の側に就いてしまいました。真田丸では、幸村の奮闘空しく大坂の陣で豊臣方が敗北する様を描いていましたが、この5武将が家康側に就いた時点で、実は勝負はついていたのです。

では、秀吉に恩顧の武将たちは何故秀吉の死後に家康に就いたのでしょうか?家康お得意の調略もあったのかも知れませんが、日に日に衰えていく秀吉に対し、戦国の激動の時代を生き抜いた武将たちは、江戸で着々と勢力を増して行く家康に時の勢いを感じ取ったのだろうと思います。

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