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2017年11月21日 (火)

北三河 市場城探訪

先日、四季桜を見に豊田市小原町を訪れましたが、そこに石垣を持った古城があることを知って、訪ねて来ました。城の名前は市場城と言いますが、正直これまで全く聞いたことがありませんでした。市場城は鈴木氏の居城として4代にわたってこの地を治めましたが、家康の関東への移封によって廃城となったようです。

4代目の鈴木重愛は家康に仕え、高天神城攻めで武功を上げ、城の大改修を行ったと伝わっていますので、この時に石垣を築いたものと考えられます。

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市場城入り口の案内板です。平日でしたが、見学者が何組も訪れていました。

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少し上った所に設置された全体図。思っていたよりも大きな縄張りの城でした。

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二ノ丸の東側を防禦した空堀。現在は遊歩道として活用されています。

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本丸東側の石垣群。この石垣群は1580年代半ばから1590年ごろにかけて築かれたものではないかと思われますが、この時期主君である家康の居城だった浜松城にさえ石垣は無かったと考えられていますので、このような地に最新の技術を取り入れた慧眼に驚くばかりです。

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本丸の南側の石垣。江戸期の石垣とは比べるべくもありませんが、逆に石垣造営の時代を感じさせる積み方です。

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本丸に設置された市場城の石碑。山城にしては広い本丸です。

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本丸に設置された市場城の説明板。

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戦国期の山城で良く見られる竪堀群が残っているのは、愛知県下ではこの市場城だけです。

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侵攻する敵を食い止める石積みの桝形。今日見ることができる桝形の多くは江戸時代に入ってから造営されたものがほとんどなので、この時代の桝形がそのまま残っているのは大変貴重です。

江戸時代以前に廃城となった割には保存状態が良いと感じました。現存する国宝の城は立派な石垣を備えていますが、当時このような山間部の山城に石垣が築かれることは大変珍しいことで、もっと知られて良い城ではないかと考えます。


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