浜松城の発掘現場を訪問
昨日取り上げた浜松城天守曲輪の発掘調査ですが、土日も実施していると言うことなので早速出かけてみました。
富士見櫓跡から見た天守曲輪。樹木の伐採によって、ここからの展望はかなり良くなりました。
発掘現場全景。もっと見学者が多いかと予想していましたが、思ったほどではなく、ゆっくりと見学することができました。
もしこれが、土塀の土留めとして使われていたのなら、石垣との距離を考えると土塀の幅は相当広かったことになります。
現場では発掘品の一部が展示されており、自由に撮影することができます。これはウロコ状の模様が線刻されており、シャチ瓦との説明でした。天守のシャチはそれなりの重厚感があると思いますので、こちらは天守門のものかも知れません。
二俣城でもそうでしたが、廃城となった後はゴミなどが埋められたりしており、今回の発掘でも雑排が多数見つかったとのことです。天保の改革で知られる水野忠邦は22代の城主でしたが、幕閣への政治工作に多額の資金を要し、過酷な年貢の取り立てや山形への転封に伴う借入金の踏み倒しなどにより、領民にはすこぶる評判が悪かったようです。こうしたことにより廃城以後は文化財とは見られなくなってしまったのかも知れません。
埋門跡付近からの天守と天守門。今回の発掘から、当時の地山は現在よりもかなり低い位置にあったようで、少なくとも2回程度埋めたてられているようです。天守台南側の空間に何があったのか、少しでも解明されることを期待したいと思います。
| 固定リンク
コメント