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2018年2月18日 (日)

諏訪原城再訪

先日、富士山静岡空港に立ち寄った帰路に、諏訪原城跡を通りかかったので、本日改めて訪問してみました。

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文部科学省の名前が入った諏訪原城跡の石碑です。

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二の曲輪大手馬出の堀と諏訪神社の石の鳥居です。

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二の曲輪南端から見た二の曲輪南馬出。諏訪原城跡は武田流築城術の特徴である、馬出がいくつも現存する大変貴重な山城です。勝頼はこの城を築くことで、高天神城への補給路を確保すると共に、城の直ぐ南側を通っていた東海道を抑えることで、この地域の支配者の地位を手に入れました。

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諏訪原城の空堀は素掘りのままと言われていますが、石積みの跡が残っていました。

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諏訪原城で最大の規模を誇る二の曲輪中馬出。以前訪問した際には雑草が繁茂していましたが、きれいに刈り取られていて、馬出を展望しやすくなっていました。

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二の曲輪中馬出から見た空堀。堀の深さが良く判ります。堀の外側に見えるのが、昨年3月に復元された薬医門です。

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医王門周辺は来年2月末までの日程で整備工事が行われており、立ち入りが制限されていますので、外堀の外側から眺めるしかありませんが、今日は遠く富士山を見ることができました。

諏訪原城は武田勝頼が遠州支配のために築いた武田流築城術の山城ですが、家康が攻め落としてからは各所に手を入れたことが発掘調査から判ってきました。武田の手に落ちていた高天神城を奪い返した後は戦略的な価値がなくなり、家康の関東移封によって廃城になったと見られていますが、秀吉の小田原攻めの際は討伐軍の主力はこの城の前を通って小田原に向かっており、その戦略性の高さを秀吉は十分認識したらこそ、家康を関東に追いやる決断をしたではないかと考えます。

一昨年の大河ドラマ、真田丸によって一躍脚光を浴びることになった武田流築城術の最大の特徴である馬出が現存する城として、諏訪原城の価値は今後益々高まるのではないでしょうか。

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