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2018年5月25日 (金)

米朝会談中止を米国が発表

6月12日にシンガポールで開かれる予定であった米朝首脳会談が、突如中止となりました。米朝会談に向けては、先週には韓国の文大統領がトランプ大統領と会談を持った矢先であり、昨日は豊渓里にある地下核実験場の坑道が爆破されて会談に向けての環境が整いつつあると思われていたので、この決定には少なからず驚きました。

ただ、米国はイランとの核合意を一方的に破棄するなど、自国の主張を強硬に主張する態度を変えておらず、体制の維持を大前提に時間を掛けながら段階的な合意を目指す北朝鮮との思惑の違いが表面化した形です。北としてはこれまで開発した弾道ミサイルと核弾頭は保有する中で、自分達の主張を認めさせる作戦でしたが、米国はあくまで一気に全面的な核戦力の廃棄と能力の除去を求めていました。

南北会談の頃は過剰とも思える融和的な姿勢を見せていた北朝鮮が、最近になってやや強気の姿勢に変化していましたが、これは突然行われた中朝首脳会談によって、窮乏しているエネルギー問題について何らかの援助の約束を取り付けたからではないかと見ています。

このため、米国としては圧力を弱めず、一気に核戦力の放棄の合意まで持ち込みたい作戦に出たように思われます。余力が乏しくなっていると思われる北が、今後どんな巻き返しに出るのか、予断を許さない状況が続くのではないかと思われます。

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2018年5月24日 (木)

イスラエルがF-35を実戦投入

ステルス戦闘機のF-35Aは航空自衛隊が導入を進めており、1月26日に1機目が三沢基地に配備されたのを皮切りに今月15日には2機目が、そして明日25日には5機が追加配備されて合計7機の体制になります。そんな折、22日にイスラエル国防軍がF-35Aを世界で最初に実戦投入したと明らかにしました。米軍は既にF-35A、F-35Bを実戦配備していますが、これまでに攻撃任務に就いたことはありません。

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F-35A (出典:防衛省)

報道によれば、イスラエル空軍のF-35Aは中東全域を飛行し、これまでに2回の攻撃を行ったとしていますが、具体的な目標は明らかにされていません。実戦投入についてはある程度予想されたことで、特に驚きはありません。イスラエルとシリア、シリアを支援するイランとの緊張が高まっており、2月にはイスラエル北部を飛行中のF-16戦闘機がシリア側からの地対空ミサイルで撃墜される事件が発生したり、イスラエルが撃墜したイランの無人機を巡って避難の応酬をしています。

やられたらやり返すイスラエルは、都度報復攻撃をしていますが、その中でF-35が行ったのではないかと思われるケースが二つありました。一つ目は5月11日のシリアに展開しているイラン革命防衛隊のロシア製パーンツィリ-S1近距離対空ミサイル・機関砲システムの破壊です。パーンツィリ-S1は対空レーダーを備えており、自車で捉えた目標を対空ミサイルと機関砲で撃墜するシステムですが、公開された搭載カメラの映像では何の対応もしないままに破壊されてしまいました。

二つ目は5月18日に発生したと言われるシリアのハマ空軍基地の爆発で、イスラエルによるミサイル攻撃ではないかと言われていました。

シリアはロシアから様々な兵器を導入しており、防空体制を強化しています。このため、イスラエルも従来のようには簡単にはシリア領内を攻撃できなくなっており、F-35の投入に踏み切ったのではないかと思われます。但し、最新型機であるF-35は機密の塊でもありますので、万一他国領土内で撃墜されれば、機体情報が漏洩する可能性がありますので、我が国としても無関心ではいられません。

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2018年5月23日 (水)

京都編その4 金地院

今回は京都編の最終回です。先日も書いたように、南禅寺には四季折々に何度も訪れていますが、地下鉄蹴上駅から南禅寺に向かう途中に金地院(こんぢいん)があります。これまで気になりながら素通りしていましたが、今回思い切って拝観させて頂きました。

金地院は南禅寺の塔領の一つですが、家康の遺言で造営された三つの東照宮の一つがあり、家康つながりで浜松とまんざら縁がない場所ではなかったことが判りました。

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明智光秀が母のために建てた唐門で明智門と呼ばれています。元は大徳寺にあったものですが、明治時代に移築されたものです。

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庭園内から見た東照宮門です。見ての通り、緑が深い庭園です。

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南禅寺に通じる道路から見た東照宮門です。金地院には別途山門があるのですが、こちらの東照宮門の方がはるかに立派です。

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小堀遠州作と伝わる東照宮拝殿です。日光東照宮や久能山東照宮と比べると質素な作りです。

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拝殿の天井に描かれた狩野探幽作の「鳴龍」です。残念ながら拝観の位置からは全景を見ることはできませんでした。

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開山堂の天井。中央部のあしらいや、天井板が市松模様になるなど、かなり豪華な作りとなっています。

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小堀遠州作の枯山水形式の「亀鶴の庭」です。全国に小堀遠州作と伝わる庭園がたくさんありますが、こちらが唯一、小堀遠州が手掛けたことが明らかになっている庭園です。

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2018年5月22日 (火)

京都編その3 知恩院周辺

白川沿いの小道は京都らしさが感じられて好きな場所ですが、特に巽橋周辺は観光客も多く中々写真を撮るのもままなりません。今回は朝早い時間帯だったので気ままに歩くことができました。

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白川に掛かる橋を渡った先にある知恩院古門。自動車が通行できるようになっているも京都らしい風景です。本当は白川側から撮りたかったのですが、逆光でツブレてしまうので裏からの写真です。

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知恩院の三門です。こちらも観光客が少なく、絶好のシャッターチャンスだったのですが、同様に逆光の上に太陽がレンズに入ってしまうので、こんなアングルでしか撮れません。

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こちらも反対の境内から。クリックして拡大すると、門前に修学旅行生が集合しているのが見えました。

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門跡寺院の青蓮院。大きな楠で有名でしたが、門の右側の木は枝を落とされていました。

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元はこんな枝ぶりの木でした。

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狭い路地を歩いていると、まるでドラマ「京都迷宮案内」のワンシーンを見ているような気分が味わえました。再び地下鉄に乗るため東山駅を目指そうとしてしたら白川のほとりに戻ってしまいました。人影も少なくこの写真も落ち着いて撮ることができました。

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2018年5月21日 (月)

京都編その2 鴨川から祇園まで

宿が錦市場の近くだったので地下鉄に向かう途中に立ち寄ってみました。

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京の台所と呼ばれる所だけあって、朝早くから店を開けているところがありました。ちょっと心が動かされましたが、先を急ぐのでグッと我慢。錦通りを抜けるとなんと入り口に伊藤若冲の作品がタペストリー風に飾られています。若冲の生家跡のと言うことです。

京都市役所前で地下鉄を下車。人通りの少ないうちに撮影しようと思っていたら、残念工事中で断念。鴨川に向かいました。

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気持ちの良い青空が広がって河原を多くの人が散歩やジョギングを楽しんでいました。納涼床を楽しむのに良い季節です。

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左岸に渡って私も河原沿いの遊歩道を歩いていると餌を漁っているコサギがいました。レンズを交換している時間がなかったので、短いレンズのまま撮影しましたが、人馴れしているのか、結構近寄ることができました。

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良く見ると、水中の足で石を動かして獲物を追い立てていました。水がきれいだからこそ見られる姿です。

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鴨川と言えば多くの橋がかかっていますが、やはり見てみたいのは三条大橋です。

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更に下って行くと、今度はマガモがいました。こちらも逃げずに撮影に付き合ってくれました。

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更に下ると白川の合流点に出ますが、その手前を左に入った新門前通沿いの町屋の風景です。ここもゆっくりと写真を撮ることができました。本当に早起きは三文の徳ですね。

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2018年5月20日 (日)

京都編その1 無人?の南禅寺

土日で京都に行って来ました。京都時代に一番多く足を運んだ寺社仏閣は南禅寺でしたが、今回も土日の二日間で2回訪れました。南禅寺は人気のスポットなので、いつも多くの観光客でにぎわっていますが、今回は幸運にも観光客が映り込まない風景が撮れましたので紹介します。

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南禅寺と言えば石川五右衛門のお芝居で有名な三門ですが、あまりに有名なので正面は人波が途切れる時がありません。そこで探したのが、このアングルです。

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こちらも人が消えてしまったのかのような風景です。

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三門北側にある鐘楼、正面奥に見えるのは方丈です。

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サスペンスドラマでお馴染みの水路閣。ここも人気の場所ですが、丁度人波が途切れた時間帯に当たり付いたのか、待ち時間なしで撮れました。

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ここも人が全くいない訳ではないのですが、上手く木立やレンガの向こうに隠れて見えません。

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柱の間から顔をのぞかせて記念写真を撮るグループが多いのですが、こちらも柱の陰に隠れている間に撮った一枚です。

今回は本当に幸運にも人影のない風景が撮れ、大満足の旅となりました。

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2018年5月19日 (土)

京都ナウ

今日は所用があったので、2年振りに京都に来ています。予定の時刻まで時間があったので、マイカーを駐車場において、かつての職場周辺を散策しましたが、退職して9年になるのでかなり変貌を遂げていました。光陰矢の如しとはこのことです。

いつもは車中泊専門ですが、今回は奮発して宿を取りましたので、今夜は寝袋ではなくふっくらした布団で休めます。

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見学時間の終わった二条城の大手門。いつもは大勢の観光客が出入りしてこんな写真は撮れませんが、ゆっくり写真を撮ることができました。

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こちらはカメラで撮影したものです。上のスマホで撮ったものと随分雰囲気が違いますが同時刻です。

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思った以上に明るく映っていて驚きましたが、夕方の二条城は昼間と違って落ち着いた佇まいを見せてくれました。

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2018年5月18日 (金)

西城秀樹逝く

昨日午前、第一報を知りました。以前脳梗塞で倒れながら、その後カムバックして活動していましたので、まさかとの思いでした。最近はテレビに出演する姿を見ることはありませんでしたが、アニメ「ちびまる子ちゃん」の作中では若い頃の姿のままで活躍していましたので、多くの人の心の中で、当時のイメージのまま生き続けていたのだと思います。

享年63歳はあまりに早すぎます。歌手として若い女性に支持されましたが、大ヒットとなった「YMCA」やドラマ「寺内貫太郎一家」などで世代を超えた存在になっていたと思います。私は彼よりも少し上ですが、自分より若い方が病気が原因で亡くなったことは大変ショックです。

私も最近は体のあちこちにガタが出始めていて、一昨日は定期検診を受けたばかりのタイミングでの訃報でしたので、他人事ではないとの思いを強くしています。

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2018年5月17日 (木)

日大アメフト問題

日大と関西学院とのアメリカンフットボールの定期親善試合で起きた危険なプレーを巡り、日大への非難が高まっています。ことの発端はボールを投げ終えた関学のクォーターバック(以下QB)に対し、日大の選手が背後からタックルして3週間のけがを負わせたと言うものです。ボールを投げ終わったQBへのタックルは危険行為としてルール上禁止されています。

これに対して日大の内田監督は試合後のコメントで「力がないから、厳しくプレッシャーをかけている。待ちでなく攻めて戦わないと。選手も必死。あれぐらいやっていかないと勝てない。やらせている私の責任」とまるで当然と言わんばかりの発言をしたことから関学側が問題視して、日大の公式見解と正式な謝罪を要求する抗議文を送付する事態となりました。

抗議文に対する回答書については期限前の一昨日夜に日大コーチが関学に提出したようですが、今現在内容については明らかにされていません。但し、昨日になって日大は広報を通じて事態は偶発的に起きたもので、監督の指示はなかったと発表しています。

しかし、アメフトは監督が全ての権限を持ち、大勢の交代要員を含めて部員個々人に細かな指示を出してプレーさせることで成り立つスポーツであること、危険なプレーは開始直後で選手同士が激高する場面はなかったこと、当該の選手にそのような行為をする必然性がないことから、監督の指示によって行われたと見るのが妥当との意見が関係者の大勢を占めています。

更には関係者の話として試合前のミーティングで「最初のプレーで相手のQBにけがをさせる。何か言われたら『監督の指示』と言っていい」と言っていたとの話があることや、当該の選手が「監督から『相手のQBを壊して来い』と言われてやってしまった」「そうしないと試合に出れないと思った」と周囲に話していたと言うことです。

内田監督は問題が表面化して以降、公の場所に出ようとしていません。しかし、日大常務理事で人事部長の学内NO.2の要職に在り、しかも自身が関与したアメフト部の不祥事において沈黙を続けることは許されません。何より「何かあったら監督の指示と言っていい」と言って実行させたのが事実なら、立場を利用して自らの責任を逃れようとする姿は醜悪であり、スポーツに携わる者にあるまじき卑怯な態度と言わざるを得ません。

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こちらは激しいことでは同様のラグビーの試合ですが、無防備の選手に対して悪質な攻撃がされることはありません。

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2018年5月16日 (水)

中国国産空母が試験航行開始

13日、中国が大連で建造を進めていた国産空母が試験航行に入ったと中国国営メディアが伝えました。試験航海は動力機器の信頼性や船体の安定性の検証が目的とされています。この空母は001A型と呼ばれていたものと思われますが、002型であるとの情報もあります。

いずれにしてもウクライナからスクラップ名目で購入したヴァリャーグを改修して完成させたスキージャンプ式空母「遼寧」をコピーした全長315m、排水量5万トンの船体を持ち、J-15戦闘機を艦載するものと思われます。J-15に関してはパイロットの養成が順調に行えていないとも言われていますが、新型空母が就役すれば空母2隻態勢となりますので、これまでの2倍の要員を養成することが可能となります。

現在はスキージャンプ式の空母ですが、中国は以前からカタパルトを備えた空母の建造を目指しており、オーストラリアからイギリス製の退役空母「メルボルン」を購入して蒸気カタパルトの構造を把握したり、電磁カタパルトの開発を急いでいるとされています。

中国は常時1隻以上の空母を運用したいとの構想から、3隻以上の保有を目指していると言われていますので、今後の動向から目が離せません。

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中国国産空母の原型となった「遼寧」です。 (出典:防衛省)

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2018年5月15日 (火)

容疑者逮捕

昨夜、新潟の女児殺害事件の容疑者が死体遺棄容疑で逮捕されました。容疑者は現場近くに住む23歳の会社員で家族と同居していたと言うことで、黒の軽乗用車を保有していました。詳細は明らかになっていませんが、目撃情報からこの車から容疑者が絞り込まれたようです。意外と早かったなあと言うのが率直な感想でしたが、これ以上長引くと長期化する可能性がありましたので、絶妙のタイミングと言えるかも知れません。

事件報道から、犯人は現場近くに住む30歳前後の男で、車を保有しているのではないかと考えていましたが、23歳だったことと家族と同居していたことは想定外でした。遺体が遺棄された状況を考えると、捜査の手が近辺に及びかねないと危惧して、とにかく周辺から遠ざけようと急いだ結果だったと考えていました。

もう一つ、容疑者は立ち寄った道の駅で任意同行(任意性はかなり疑問ですが)を求められましたが、この道の駅は2年前に私が佐渡を訪問した際、渡航の前後2回にわたって利用した場所です。信濃川に近く、周辺は静かな環境でしたので、あの場所の近くでこのような凶悪な事件が起きたことに改めて驚くとともに、事件の全面的な解明が望まれます。また、類似の事件が再発しないよう、登下校の在り方や防犯器具について、改めて考え直すことが必要と考えます。

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新潟港のフェリー乗り場です。

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2018年5月14日 (月)

はしかに罹ったようなもの

台湾からの旅行者が発端となり、沖縄県で発生した麻疹(はしか)の流行が野火のように日本列島に広がって、感染者数が100人を超える事態となっています。

麻疹は感染症法に基づく五類感染症に指定され、届け出の対象となっていますが、かつてはそんなに大ごとではなかった気がします。遠い昔のことなので、記憶があいまいですが、幼児が感染しても、「はしかにかかったようなもの」と比喩されたように、その内に治ると静観されたような気がします。

今回、3月20日に沖縄で感染が報告されてから、4月10日までに沖縄で30人、4月20日までに沖縄で29人、愛知県で1人と拡大しました。愛知県の感染者は沖縄を旅行しており、現地で感染したものと見られています。更に30日までに沖縄15人、愛知9人と感染は広がりを見せ、5月8日までに沖縄10人、愛知6人、東京・神奈川で2人、12日までに愛知で3人と広がり続けています。

麻疹は麻疹ウィルスによって感染しますが感染力が強く、接触感染だけでなく飛沫感染や空気感染で感染してしまう厄介な病気です。基本的にはワクチンで予防しますが、困ったことに効力が10年ほどしか持続しないと言われていることや、ウィルスの型によって効果が異なることがあるようです。

かつて新型インフルエンザで大騒ぎとなりましたが、麻疹も今回のように在来のウィルスとは違った型が海外から侵入してくる可能性がありますので、注意が必要です。もし感染者との接触が疑われる場合には3日以内にワクチンを接種すれば、また6日以内であればガンマグロブリンの注射によって発症を抑えられると言われていますので、医療機関へ相談することが大切だと思います。

早く以前のように「はしかに罹ったようなもの」と笑い話にできる日が来ると良いのですが。

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2018年5月13日 (日)

縁は異なもの世間は狭い

GWに四国に行って来ましたが、高知市を後にして仁淀川を遡りました。その上流域、高知市の西約40Kmに佐川町がありますが、そこに司牡丹酒造㈱があります。司牡丹(つかさぼたん)と言えば四国を代表するお酒ですが、その起源を知って驚きました。

高知城は豊臣家の家臣で掛川城の城主だった山内一豊が、関ヶ原の戦功によって高知24万石を与えられ、1603年に静岡県からはるばる移って築いた城ですが、当然家臣団もそれに従うことになりました。主席家老の深尾和泉守重良は佐川町にあった佐川城を与えられましたが、深尾家に従って移って来た商家の中に酒造りを生業とする者がおり、佐川の地で酒造りを始めたのが、司牡丹の始まりとなったそうです。

ついでに言えば、佐川町は明治が生んだ植物学者牧野富太郎の出身地なので、牧野博士にちなんで牡丹の名が冠されたのかと思いましたら、大正7年に近在の酒造メーカーが合併し、株式会社を設立する際に佐川町出身で宮内大臣を務めた田中光顕伯爵が、「今後は酒の王たるべし」と「司牡丹」と命名されたそうです。意味は、「牡丹は百花の王、さらに牡丹の中の司たるべし」だそうなので、牧野博士に全く縁がないこともなさそうです。

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大きな杉玉が吊るされた司牡丹酒造の本社です。

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右側の白い建物が本社事務所です。

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延々と酒蔵が続いています。

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真ん中の建物が直営店の「ギャラリーほてい」で縁故の品物の展示や主要製品の直売をしています。山間の小さな町のせいか、レトロな建物が多く残っています。

私は日本酒に関しては詳しい方ではありませんが、そんな私でも司牡丹の名前は知っています。しかし、このメーカーのルーツが静岡県にあったとは全く知りませんでした。いやあ、世間は狭いものです。

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2018年5月12日 (土)

昨日、35万アクセスを達成

日頃当ブログをご愛読いただき、ありがとうございます。おかげ様で、昨日アクセスカウンターの数字が35万アクセスをカウント致しました。これも皆様の支持があればこそと感謝の念に堪えません。

最近はアウトドア関連が少なく、安全保障やお城関係の記事が多くなってしまっていますが、特に分野を限らず、その時々に興味を持ったことを取り上げていますので、広い大きな心で見て頂ければ幸いです。この先いつまで続けられるか判りませんが、パソコンのキーを叩ける限りは続けて行きたいと思っていますので、宜しくお願い致します。

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お城と階段

名古屋城の天守を木造で再建する計画について、名古屋市が史実に忠実に復元するためにエレベーターは設置しない方針を固めたことに対し、障害者の団体が差別だとして知事に救済を依頼する事態となっています。名古屋城は国の指定史跡となっている文化財で、日常的に利用する一般的な公共施設とは違いますので、私は名古屋市の決定を支持する立場ですが、他のお城ではどのようになっているのか、以前に撮った写真から確認してみました。

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1991年に木造再建の先駆けとなった福島県の白河小峰城です。残された絵図を基に木造で再現されました。本丸まで石段が続いており、車いすでの見学は考慮されていません。御三階櫓(天守に相当する櫓)に上がるには更に左側の急な石段を上る必要があります。

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こちらは1994年に最初の木造再建天守となった掛川城天守の内部ですが、急こう配の階段が設置されています。掛川城城主だった山内一豊は掛川城を偲んで高知城天守を築いたと言われていますが、掛川城の復元に当たっては、高知城天守を参考にしています。

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古写真を基に2005年に木造で再建された熊本城飯田丸五階櫓です。右側に入り口の石段があり、その上に勾配を緩くした階段が設けられていますが、車いすでの入場はできません。

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飯田丸五階櫓の内部です。再建に当たっては在来軸組工法で建てられ、段差は階段となっていて、車いすでの見学はできません。

この他2004年には、愛媛県の大洲城天守が明治時代の写真や大洲藩作事棟梁だった中村家に伝わる天守雛形などから詳細な内部構造資料を基に木造で再建されていますが、こちらにもエレベーターは設置されていません。

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江戸時代の天守が現存している宇和島城の天守内部の階段です。どこの城もそうですが、天守内部には急な勾配の階段が設けられています。軍事施設として城郭が築かれた時代には、こうした階段が当たり前のことでした。文化財として天守を復元しようとする場合、史実に基づいた構造・工法であるが求められるのは当然のことと言えるのではないでしょうか。

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2018年5月11日 (金)

浜松基地への美保基地教育隊の移転が決定

浜松基地には戦闘機のパイロットを養成する第一航空団があり、T-4練習機で訓練を行っていますが、防衛省は美保基地第三輸送航空隊の教育隊の移転を浜松市に申し入れていました。これに対し浜松市は騒音が増加することなどを理由に回答を保留していましたが、8日に正式に申し入れを受け入れる回答書を防衛省に提出しました。

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離陸するT-4練習機です。

今回移転が決まったのは航空自衛隊の輸送機や救難機のパイロットを養成する教育隊で、T-400練習機が約10機と隊員百数十名となる見込みで、2020年度の移動を予定しています。

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T-400練習機 (出典:防衛省)

T-400は双発の機体で、操縦席は左右に並ぶ、一般的な旅客機や輸送機と同じ配列となっており、航続距離は3000Kmとなっています。浜松市では移転により離発着の回数が増加することから、シミュレーターを活用するなどして飛行回数数を減らすよう要望しています。

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2018年5月10日 (木)

カシオがデジカメから撤退

カメラがスマホに押され、各社ともコンパクトカメラの売り上げが大幅に減少、ラインナップの縮小を余儀なくされていますが、昨日はカシオがデジカメからの撤退を明らかにしました。

カシオのカメラ部門の2017年度の売り上げは123億円、営業利益は49億円の赤字で、出荷台数は目標の64%に留まったと言うことです。カメラはキヤノン、ニコンの二大巨頭を除くと、どこも売り上げの減少に苦しんでいます。例えばオリンパスの場合は昨年度の売り上げが656億円と前年に比べて16%減少しました。ただし、ラインナップを見直したことなどから、営業利益は逆に21億円の赤字から5億円の黒字に転じています。

これはカシオがデジカメでカメラに新規参入し、いわゆる一眼カメラを持っていなかったのに対し、オリンパスはフィルム時代から一眼レフに参入し、ミラーレスカメラと言う新たな柱を持っていたからで、今回の出来事は、コンパクトカメラにとってはスマホといかに差別化するかの競争が大変厳しい戦いであることを示していると思われます。

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望遠レンズで撮った松山城。こういう写真はカメラでしか撮れません。

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2018年5月 9日 (水)

四国お城巡り 丸亀城編

名古屋城天守が木造再建の準備のため、再建工事完了まで見学が中止となりましたが、四国お城巡りも今回で最終回です。

丸亀城へは松山城から向かいましたが、移動に時間がかかるため、到着時には天守への入場時間を過ぎており、内部の見学はできませんでした。また、当日は丸亀お城まつりの開催日で、周辺は交通規制が敷かれており、大手口は大変な混雑だったので、こちらからの入城は断念せざるを得ませんでした。

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三ノ丸と二ノ丸の高石垣です。倒壊防止用なのか、三ノ丸石垣下部に黒い土嚢風の物体が積み上げられていました。良く見ると石垣に亀裂が生じており、石垣の状態が悪化しているのが判ります。

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搦手口付近から見た石垣群。この辺りの石垣は大丈夫そうでした。

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二ノ丸への虎口です。時間が遅いので陰の部分が多くなっています。

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大手門付近から見た丸亀城天守です。大手門に向いた側は、立派に見せるために唐破風や下見板で化粧しています。

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大手門は、くの字型の櫓門となっていますが、こちらが国の重文の大手一の門です。この向こう側に堀に面した大手二の門がありますが、今回は見学を断念しました。

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国の重文の御殿表門です。普段はできるだけ人物が映り込まないようにしていますが、流石にイベント開催中なので、建物だけとは行きませんでした。

今回、高知・宇和島・松山・丸亀と四国にある現存4天守全てを周ることができましたが、まだまだ見残した所もありますので、またいつか四国を再訪したいと思っています。

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2018年5月 8日 (火)

四国お城巡り 松山城編その2

松山城では本丸内の天守周辺を本壇と呼んでいますが、天守曲輪の意味合いです。一の門は本壇への最初の防禦地点です。

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一の門を入った先にある二の門です。短い距離で門が連続し、しかも桝形となっていますので、ここを突破するのはかなり難しいのではないかと思われます。

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三の門です。

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三の門を進み、天守内側に入るための最後の関門となる筋鉄門です。

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天守群の内側から見た大天守と左側が内門で、右側が先ほど潜った筋鉄門です。良く見ると大天守と板張りの色が違っています。これは大天守を除く連結した櫓群が昭和8年の放火で焼けてしまい、昭和30年代になって再建されているからですが、大天守も1784年に落雷で焼失したものを1852年になって再建したものです。

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大天守から見下ろした、正面から乾櫓、手前に向かって乾門、乾門続櫓です。

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切妻部分の明り取りですが、防禦を考慮してか、閉め切ることができるようになっています。

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三ノ丸から見上げた天守群と馬具櫓、太鼓櫓と二ノ丸庭園。

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二ノ丸下にある黒門跡。大手道だけに立派な石垣が積まれています。手前は三ノ丸ですが、三ノ丸は公園となっており、遺構を見ることはできません。

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2018年5月 7日 (月)

四国お城巡り 松山城編その1

連休後半ど真ん中の4日に松山城に行きました。ロープウェイ横の東雲登城口まで、人混みを縫うようにして歩きましたが、それだけでこのお城の人気の高さが判ると言うものです。

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東雲口(しののめぐち)を上がってロープウェイの終点を過ぎると最初に目に入るのが巽櫓(たつみやぐら)です。松山城は山麓に二ノ丸、三ノ丸の広大な曲輪を巡らし、標高132mの山上に強固な本丸を備えた平山城ですが、重機の無かった時代には大変な工事だったと思われます。その為か、完成までに25年以上を費やしています。

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石垣に設けられた排水口。高知城では石垣から石樋を突き出していましたが、ここでは石垣表面を流すやり方をしています。

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黒門口からの登城路に設けられた大手門跡。防備に自信があったのか、石垣はそんなに高くありません。

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大手門からの登城路が折り返すように付けられ、戸無門(となしもん)へと続いています。

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戸無門下から見た天守です。

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筒井門横に設けられた小振りな隠門です。

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本丸への最後の関門となる太鼓門です。どの門も進行方向から直角に曲がった面に設けられています。

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本丸から見た小天守、大天守、一ノ門隅櫓です。松山城の天守は3層3階と低いので、こうして近くに寄ると他の建物の陰になってしまいます。

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一ノ門の内側。後方に小天守が見えています。

松山城編 その2に続きます。

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四国お城巡り 宇和島城編

築城の名手、藤堂高虎によって築かれた現在の宇和島城は築城当時は海に面しており、海水を引き込んだ堀を巡らしていましたが、現在は全て埋め立てられており、往時の姿は何処にも残っていません。

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搦手道口に建つ、宇和島市指定文化財の上り立ち門(のぼりたちもん)です。

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搦手道を上がった所にある代右衛門丸(だいえもんまる)の石垣です。本丸西側と南側の守りを固めていました。

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本丸北側を守る長門丸の上にある藤兵衛丸にある郷土資料館。三ノ丸にあった武器庫を移築したものです。

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三の門への石段と後方は本丸の石垣です。

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入り口反対側の南東側から見上げた天守。この天守は高虎が築いたものではなく、宇和島藩二代藩主の伊達宗利によって1666に建てられたものです。順光になるのはこちら側ですが、こちらまで回る人はほとんど見られませんでした。

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天守から北西方面。間近に海が見え、かつては海に面していたことが判ります。

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石垣の石に見られる不思議な模様。岩石が冷える過程でできたものなのか、それとも、その後に変化したものか想像が膨らみます。

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2018年5月 6日 (日)

四国お城巡り 高知城編

昨日早朝に四国を発って、当日の昼前に浜松に帰着しました。出先ではできなかった写真の整理ができたので、お城毎に紹介したいと思います。

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高知城追手門と天守。高知城は戦前に国宝に指定されていましたが、昭和25年の文化財保護法の施行によって現在は重要文化財の指定となっています。写真左側の石碑はその当時のものなので、国宝高知城と記されています。

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詰門と二ノ丸の石垣です。追手門から城内に入ると、石垣に沿って上がって行きますが、二ノ丸手前で詰門に突き当たります。二ノ丸へはそこを右に進むのですが、侵入した敵は詰門に向かうので周囲の櫓から集中攻撃を受けることになります。

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天守から見た本丸と二ノ丸。二ノ丸側に突き出して見えるのが詰門で、本丸側の出口に西多門、東多門がつながっています。

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手前側が本丸御殿で、天守とはつながっています。本丸御殿が現存している城は少なく、貴重な遺構です。

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本丸御殿内部。この欄間は波の形になっていますが、白壁に映った影を楽しんだのかも知れません。

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城主の謁見の間に作られた武者隠し。扉の向こうに精鋭の武者が控えていました。

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柱に鉄の板を貼った黒鉄門。この門を使えば直接本丸に入ることができました。

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本丸の石垣に作られた石の樋でできた排水溝。高知城は水はけが悪く、石垣の保護のため、築城の際に多くの石樋が作られました。

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発掘された長曾我部時代の石垣。長曾我部氏はこの地に城を築こうとしましたが、難航しているうちに改易となってしまいました。一豊はこの石垣の外側に石垣を築いたので、この石垣は地下に眠ることになってしまいました。

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二ノ丸手前から見た高知城天守。高知城は一豊が前任地の掛川城を偲んで築かれたとも言われていますので、静岡県民として一度は訪れたいと思っていましたが、今回念願が叶ったのはうれしい限りです。

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2018年5月 5日 (土)

お城3連発

昨日は足摺岬近くの道の駅に一泊。早朝に出発して一路宇和島城を目指しました。宇和島城は、元は海に面して海水を取り入れた堀を備えていましたが、今ではすっかり埋め立てられて往時の姿は残っていません。

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3の門から天守に通じる通路の途中から見た天守です。石垣造営の名人と言われた藤堂高虎が縄張りをしただけあって、見事な石垣群が城を守っています。この日はお城のイベントでテントが設営されており、折角の天守の景観にそぐわない風景となっていたのが残念でした。

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宇和島城の天守です。本丸はかなり狭い上に、立ち入りできる区域が制限されていますので、思うようなアングルでの撮影ができませんでした。

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多くの櫓や門が残っている松山城です。残念ながら、昭和初期の放火や第二次大戦の空襲によって消失してしまったものが多くありますが、戦後に木造で復元されており、連立式天守は重厚感があります。

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三の丸から見た二ノ丸と天守ですが、平山城の特徴が良く判ります。

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丸亀城の天守です。一日で3城を巡ったため、到着時には天守への入場時間が過ぎており、内部の様子は確認できませんでした。また、こちらでも城内でイベントが開かれており、十分な見学ができなかったのが残念でした。

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丸亀城は高石垣で有名ですが、その名に恥じない見事な石垣が残っています。

今回の旅では高知城、宇和島城、松山城、丸亀城の4城を訪れることができ、四国の空白域を減らすことができました。

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2018年5月 4日 (金)

四国の南端、足摺岬まで

昨日は高知を出発して、仁淀川、四万十川の中流域で沈下橋や、両脇の新緑を楽しみながら、四国南端の土佐清水市までやって来ました。足摺岬では、幸運にも岸部近くにやって来た海亀を見ることができました。

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仁淀川の沈下橋です。

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土佐の銘酒、司牡丹の蔵元の風景です。

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四国の南端、足摺岬灯台です。

今日は四国の西側を北上します。

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2018年5月 3日 (木)

高知城に登城

昨日は雨の中を出発しましたが、予報は終日雨と言う最悪の天気です。途中、安芸市で武家屋敷を見て、午前9時過ぎに高知に到着しました。幸い、そんなに強い降りではなかったのですが、傘を片手の撮影は少々辛いものがあります。

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高知城天守です。山内一豊の前任地、掛川城が木造復元される際にモデルとなりました。
今回、初めてボランティアの観光ガイドをお願いしましたが、歴史や見所など、知らないを多数教えてもらい、大変助かりました。高知城には3時間ほど滞在しましたが、昼になったので雨宿りを兼ねて昼食、そこから宿を探したら運良く空室が見つかったので、本降りとなった雨の中を宿に逃げ込んで、なんとか凌ぐことができました。
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ライトアップされた高知城です。
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今朝撮った高知城です。

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2018年5月 2日 (水)

鳴門市からスタート

昨日は四国巡礼一番札所、霊山寺に今回の旅の安全祈願をして、スタートしました。目的地は大塚国際美術館です。ここは世界の名画が1000点以上を陶板にして、展示している世界的にも珍しい美術館です。但し、これだけの作品を1日で全て見て回ると頭が混乱してしまいますが、3時間ほどで駆け足で見学、室戸岬経由で高知を目指して半日ドライブでした。

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古い家並が残る吉良町の民家です。

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安芸市に残る武家屋敷です。

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昨夜は手前の道の駅で一泊、天気が気掛かりですが、今日はいよいよ高知です。

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2018年5月 1日 (火)

四国に到着

昨日、浜松城の発掘調査発表会から戻り、急いで支度して出発しました。心配した高速の渋滞もそれほどでもなく、午後7時過ぎに四国に到着。昨夜は徳島の道の駅で一泊、静かな朝を迎えています。お天気が気になりますが、今日いっぱいは大丈夫なので、せいぜい楽しもうと思います。

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第一次大戦の時、ドイツ人捕虜を収容した坂東俘虜収容所を記念して建てられたドイツ館です。

 

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