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2018年5月12日 (土)

お城と階段

名古屋城の天守を木造で再建する計画について、名古屋市が史実に忠実に復元するためにエレベーターは設置しない方針を固めたことに対し、障害者の団体が差別だとして知事に救済を依頼する事態となっています。名古屋城は国の指定史跡となっている文化財で、日常的に利用する一般的な公共施設とは違いますので、私は名古屋市の決定を支持する立場ですが、他のお城ではどのようになっているのか、以前に撮った写真から確認してみました。

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1991年に木造再建の先駆けとなった福島県の白河小峰城です。残された絵図を基に木造で再現されました。本丸まで石段が続いており、車いすでの見学は考慮されていません。御三階櫓(天守に相当する櫓)に上がるには更に左側の急な石段を上る必要があります。

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こちらは1994年に最初の木造再建天守となった掛川城天守の内部ですが、急こう配の階段が設置されています。掛川城城主だった山内一豊は掛川城を偲んで高知城天守を築いたと言われていますが、掛川城の復元に当たっては、高知城天守を参考にしています。

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古写真を基に2005年に木造で再建された熊本城飯田丸五階櫓です。右側に入り口の石段があり、その上に勾配を緩くした階段が設けられていますが、車いすでの入場はできません。

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飯田丸五階櫓の内部です。再建に当たっては在来軸組工法で建てられ、段差は階段となっていて、車いすでの見学はできません。

この他2004年には、愛媛県の大洲城天守が明治時代の写真や大洲藩作事棟梁だった中村家に伝わる天守雛形などから詳細な内部構造資料を基に木造で再建されていますが、こちらにもエレベーターは設置されていません。

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江戸時代の天守が現存している宇和島城の天守内部の階段です。どこの城もそうですが、天守内部には急な勾配の階段が設けられています。軍事施設として城郭が築かれた時代には、こうした階段が当たり前のことでした。文化財として天守を復元しようとする場合、史実に基づいた構造・工法であるが求められるのは当然のことと言えるのではないでしょうか。

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