歯ブラシさんを偲んで
昨日は通勤通学の時間帯である午前8時前に大阪北部を震源とする地震があり、死者4名、負傷者400名近い被害が発生しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災された方々にお見舞いを申し上げます。
訃報が知らされた山仲間のニックネームは「歯ブラシ」さんでした。由来は、水が大変貴重な環境下においても常に食後の歯磨きを欠かさなかったからで、雪を溶かして水を作る雪山でもこの習慣は変わることがありませんでした。
「歯ブラシ」さんとは、昨年閉店した登山用品店からの紹介で知り合いました。私よりも二つ年上でしたが、お互いそんなことは気にせず、良く山に行きました。ある年の夏、南アルプスの聖岳から茶臼岳への縦走を計画した私たちのパーティは、林道で赤石沢を登っている筈の閑人倶楽部のメンバーと出会いました。聞けば上流では雨で水量が上昇し、計画を断念して下山したとのことです。
当夜は林道の橋の下にテントを張って、楽しい宴会となりました。その中で歯ブラシさんともう一人のメンバーが同じ高校の卒業生であり、クラブ活動ではグラウンドで隣り合わせていたにもかかわらず、この時まで全く面識がなかったと言うことが判り、大いに盛り上がりました。
その後、正月には赤石岳から茶臼岳への縦走を計画し、雪と寒さに苦しみながら赤石東尾根から聖岳まで縦走しましたが、あるトラブルで下山を余儀なくされました。以来、「歯ブラシ」さんと会うと、この時のことが思い出されてなりません。
もう一つ記憶に残っているのが、スキーで縦走した妙高の天狗原山から火打山への縦走です。笹ヶ峰から入山し、天狗原山東の尾根をスキーを使ってひたすら登りました。「歯ブラシ」さんは山スキー、私はテレマークスキーで思い思いに登って行きましたが、このコースを選ぶ物好きは少なかったと見えて、他の登山者に出会うこともなく春山を存分に楽しみ、稜線手前でツェルトを張りました。
翌日順調に稜線をスキーで縦走しましたが、どうもこの時焼山は入山禁止となっていたようで、焼山山頂は強風にもかかわらず、強い硫黄の匂いがしました。今と違い、情報伝達の手段が限られていましたので事前情報でキャッチできず、また登山のベースとなる笹ヶ峰にもそのような表示の類は全く見られませんでしたので、このことを全く知らずに入山してしまったのです。稜線で、雨飾山方面に縦走するパーティとすれ違いましたので、地元では規制は有名無実化していたのかも知れません。
二日目の高谷池(こうやいけ)ヒュッテ前に張ったエントラントのツェルト。後方が越えて来た火打山です。
御嶽山の噴火があった時も真っ先にこのことが頭に浮かびましたし、笹ヶ峰に足を運ぶ度、この時のことが思い出されて仕方ありません。
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